私は政治経済学部政治学科卒で専門は近代政治史です。特に日中関係の政治史を中心に勉強しました。
歴史にのめりこみ社会科に惚れ込んだので現在の職業につきましたが、教員になってみると社会科以外にやることが多すぎて、したがって学校内における社会科以外の教育活動、生徒指導も道徳も各種行事も部活動も、みんな嫌いでした。後から気がついたのですが、他の先生方、特に教育学部から来られた先生たちの多くは、子どもを育てることや子ども自体に興味のある人が多いのです。その点が私とは決定的に違いました。
「知・徳・体」という言葉があります。芸能や武道でいう「心・技・体」も同じことでしょう。要するに、教育は知識技能面と道徳面と身体面、三位一体として行われるべきものという考えです。したがって教員としての私たちは、それぞれに三分の一ずつ力を注がなければなりません。そういうことが私は分かっていませんでした。
しかしそう思ってみると、学校という組織は、実に合理的にこの三位一体を果たすようにできています。
たとえば、どこに行っても小学校には運動会が、中学校には体育祭やクラスマッチがあります。体育科の先生たちはいつも引っ張りだこです。それは体育科の先生たちが週3時間ほどの「教科としての体育」を受け持っている以外に、学校の教育活動である「知・徳・体」の「体」に関わる活動をしているからです。体育の授業を行う体育の先生と、学校全体の体育を請け負う体育科の先生とは別人格だと考えてもいいくらいです。
大切な教科の時間を削って身体測定が行われ、歯磨き指導が行われ、性教育が特設されるのもすべて三分の一の「体」の活動の一環です。したがって社会科の教師であろうと音楽科であろうと、すべての教員が一致してこれらの活動に当たらなくてはなりません。
では、合唱コンクールや音楽会は何なのでしょう。学校ではどこも音楽活動が行われていますが、音楽科の先生に格別な地位が与えられているのはなぜなのでしょう。これはつまり情操の問題で、道徳に関わるものなのです。一度でも合唱指導に本気で取り組んだ人は、音楽がどれほど個々の人間性を高め、集団の力を高めるかということを肌で知っています。「全教育課程を通しての道徳教育」という言葉もよく遣われますが、合唱指導というのはその代表です。
「全教育課程を通しての道徳教育」というのは、教科教育、児童生徒会、各種行事、それら校内の活動のすべてを通して、人間関係のより良いあり方を演習しなさいという意味です。
演習ですから、子ども同士がぶつかりあったり問題解決しあったりする活動の中で、道徳性を高めるのです。活動自体が道徳の学習なのです。週1時間の「道徳」の授業は、そのための基礎を学んだり、活動の意味を問い直したりするエキスの時間です。
知育は理解しやすいものです。しかし体育については、教科としての「体育」と「知・徳・体」における「体育」を分けないと理解しにくくなります。「道徳」の授業と「知・徳・体」の「徳(全教育課程を通しての道徳)」の関係も同じです。
覚えておくとけっこう都合のいい概念です。