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「社会科:やせ細る教科の話」~今日は道徳の誕生日

 今日は「道徳」の誕生日。
 64年前の今日、道徳が授業として進められることが決まった。
 その陰で仕事の奪われた教科がある。社会科だ。
 社会科はその後も、守備範囲をさらに縮める。
という話。(写真:フォトAC)

【今日は「道徳」の誕生日】

 今日、8月28日は義務教育学校における道徳の授業が義務化された日(1959年)、つまり「道徳」の誕生日です。1945年の敗戦以来、その日まで、この国の学校に道徳の授業はなかったのかというと、じつは独立した授業としては存在しなかったのです。

 第二次世界大戦前は「修身」が道徳教育を担ってきました。しか戦後GHQは「国史」「地理」と並んで「修身」を軍国主義教育とみなし、授業を停止する覚書を出しました。以来、一部に熱烈な要請はあったものの、およそ15年に渡って道徳を単独で背負う「道徳科」といっていい授業は、行われてこなかったのです。
 
 しかし知・徳・体の三領域に渡って教育することを標ぼうする日本の学校において、道徳の要素をまったく取り払った教育課程は考えられません。そこで「道徳科を特設しない道徳教育」という概念が編み出されます。《道徳教育は学校におけるすべての教育活動の中で行うべきもの》とする考え方で、行事や教科の中でも道徳心を育てていこうというものです。1951年に最初の手引書が作られると、以後今日まで、基本的に道徳教育は、この概念のもとで営まれるようになりました。
 このとき最も期待されたのが社会科と国語科です。1945年~1959年、昭和でいえば20年から34年あたりまでのことです。

【社会科からの道徳の切り離し】

 しかしその後、道徳を教科のように、きちんとまとまった時間に学ぶべきだという機運が高まり,反動だの、軍拡主義への回帰だのと非難される中で、1960年から「道徳」という授業がおかれるようになった――それが1959年の今日、決まったことなのです。この時、社会科から生き方や人間関係に関する学習が大きく削り取られました。道徳的な課題は「道徳」に任せようというのです。

 特に中学校の以上の社会科教師の中には、強い違和感を持つ人もいました。彼らは「何のための社会科教育か」と問いかけます。「正しく生きるための社会科だろう」という含みです。しかし他方で、「これで社会科を社会科学の枠に引き戻し、本来の学びに充てる時間が増える」と喜んだ教師もいました。

 「社会科からの道徳の分離」というのは意外と難しい要素で、今でも授業研究の場で、
「これは道徳の授業なのかい?」
と揶揄されることがあります。人間の営みを追求していくと、どうしても道徳的にならざるを得ない場面も出てくるからです。例えば、
シャッター商店街のAさんが、一人の客も来ない日があっても店を開いているのはなぜだろう」
といった課題をもって始めると、授業はすぐに道徳的なってしまいます。

【問題解決学習の切り離し】

 上記「シャッター商店街の~」のように、問題を解決する中でいくつもの学びを重ねていこうとする学習方法を、問題解決学習または課題解決学習といいます。社会科の肝となる学習法ですが、21世紀になってこれも切り離そうという動きが起こります。2000年から段階的に進められてきた「総合的な学習の時間」の創設です。

 総合的な学習の時間は「生きる力」をつける時間だとされますが、その生きる力の三つの要素、「確かな学力」「豊かな人間性」「健康、体力」の「確かな学力」中で、知識や技能とともに「問題解決学習」が大きな柱として据えられたのです。学習内容過多で常に時間不足に喘いでいた社会科教師の中から、
「それじゃあ問題解決学習は総合的な学習の時間に任せようや」
という話が出てきます。
 かくして問題解決学習が切り離され、社会科はさらに豊かさを失うことになります。

【社会科がさらに科学に近づいて――】

 すべてを否定的に考える必要はありません。
「社会科がより社会科学の体を示すようになった、科学に一歩近づいた」
という意味では歓迎すべきことです。
 問題解決のために一単元に留まって、馬鹿みたいに大量の時間を消費することもなくなり、授業もシンプルになって、多少の余裕も生まれました。

 頭の中ではいいことだらけだとわかるのです。しかし「鎌倉幕府室町幕府も百数十年の短命だったのに、徳川政権はなぜ270年も続いたのだろう」などと、今日明日を生きていく上では何の意味もない課題に、児童生徒と教師が口角泡を飛ばすように議論し合うことのなくなった社会科は、ずいぶんと貧相に見えます。
 もちろん現在の社会科のあり方が合理的で間違いのないことは分かるのですが、社会科学習から学問をすることのダイナミズムが失われることは、ほんとうに寂しいことでした。