子どもを守ること

 たった1年あるいは数年の違いなのに、年号や世紀が変わると、なぜ世界は変化してしまうのだろう、歴史を学んでいるとよくそういうことを思います。明治が大正に変わっただけで、厳格で上昇志向の強かった雰囲気は一気に自由闊達な大正デモクラシーへと変わっていきます。そして昭和が始まるとすぐに金融恐慌が起こりあっという間に昭和前期の暗い雰囲気が漂うようになります。金融恐慌は昭和2年の3月ですが、昭和元年は1週間しかありませんでしたから大正が終わってわずか三ヵ月後のことです。

 昭和の後半は自由・平和と経済の時代です。それが平成に入ったとたんに長い不況に陥り、ばら色の夢は消えていきます。憲法改正が話題になったり自衛隊の海外派遣といったことは、昭和の間は誰も考えなかったことです。

 2001年、21世紀が始まった年に9・11同時多発テロがあり、世界の構造がまったく変わってしまいました。同じ年、日本では小泉政権が誕生し小泉劇場と呼ばれるような派手な政治が始まります。また、12月には敬宮(としのみや)愛子内親王が誕生され、皇室のありかたも徐々に変化し始めました。

 そして私たちにとって、この年は大阪教育大学附属池田小学校の年として記憶されています。これによって学校は大いに変わりました。学校開放は大きく後退し、ホームページからも子どもたちの生き生きとした表情が消えてしまいました。当たり前のようにつけていた名札も校外では外され、地域の方たちが気軽に訪れていた学校の入り口に来校者台帳が置かれるようになりました。各地にボランティアによる地域の見守り隊が結成され、集団登下校も始まったりしましたが、このことは裏を返せば、子どもたちが寄り道をしたり回り道をしたりして自由に登下校できた時代から、大人の完全な監視下に入ったことも意味します。各学校にはサスマタやら防犯ネットやらが常備され、警察への通報装置が整備されるとともに侵入者対応の訓練も繰り返し行われるようになりました。

 しかし私は、このタイプの防犯訓練には疑問があります。池田小事件から10年、この間、学校に侵入し子どもを次々と殺すといった事件は池田小事件1件だけです。いや100年遡っても1件だけでしょう。そうした稀有な事件のために、大切な授業を削って訓練することにどういう意味があるのかという疑問です。

 もちろん授業時数が無限にあればいいのですが、ほかにやるべきことがたくさんある中で、こうした訓練が優先されるのは一種のパフォーマンスではないかという気さえしているのです。今の侵入者対応避難訓練が必要なら、侵入者が二人の場合、三人の場合の訓練だって必要になります。滅多に起きない、予想できないという点ではどれも同じはずです。

 それよりこの10年だけを見ても、登下校中に誘拐されたり刺されたりといった事件の方がはるかに多く、訓練すべきはまずこちらという気もしています。知らない人に道を聞かれたときにどうすればよいのか、お菓子を上げるとか、車に乗せてあげると言われたときにどう対応すればよいのか、交通事故に合ったとき(見たとき)どうすればよいのか、そういったことを具体的に訓練しておくことの方が、よほど価値があると思うのです。

 ただし、子どもが被害者になる殺人ということになると、おそらく一番多いのが家庭の中です。もちろん親から身を守る訓練など、やりようがないのですが。