思い

 年間200日以上も文章を書いていると、うまく書けたと思うときもあればやめておけばよかったと思うときもさまざまにあります。文の評価は他人がするものですからどれが一番ということはないのですが、自分で書いたもので最も好きなものはとなると、これはもう決まっています。

 2年前、教師としての私の目から見ても呆れるほど努力家の娘が、まったく予定外に大学受験に失敗した夜、一気に書き上げたものです。書く中で、私自身が何を信じて生きてきたか、明らかになった夜でもありました。

「インシャラー」

 時々その意図が分からなくなるときもありますが、私は基本的に神様というものを信じています。それは天照とかエホバとかあるいはアッラーといった名のある神ではなく、お天道様としか言いようのない、天の摂理のことです。

 一見ずる賢いものが得をしたり、人を人とも思わないような者が勝者だったりするように見えても、それは一時の輝きであって、結局まじめに、地道に努力するものが報われる。

 美貌や頭脳や金に恵まれるものが必ずしも幸せでなく、だからといってそういった人々が必ず不幸になるというものでもなく、正しく生きるもの、心豊かに生きるものだけに幸せは訪れるのだということ。

 悪事は必ず露見するということ。人に見られなくても、ただ一人見ていたはずの自分の記憶に苦しめられるはずだということ。

 大きすぎず小さすぎない自分を受け入れ、相応に生きる人のみが悪夢にうなされずに済むということ、そういったことはすべて信じられることです。

 素直であること(心を広げ、ありとあらゆるものを、ゆったりと受け止めること)、ひたむきであること(何かに向けて一心に努力すること)、けなげであること(今の自分より少しだけ上を目指してがんばること)、そうしたことのできる人間には、神様はすべてを与えてくれると、私は信じています。

 今日、その結果が望むような形でなくても、神様は最後には収支を合わせてくれるのだと、私は信じますし、子どもたちにもそのことを教えたいと思います。

 インシャラー(すべて神のおぼしめし)なのです。