カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「部活動を支持する人々の言い分」〜小学校教諭の約3割、中学校教諭の約6割が「過労死ライン」④

 部活動がニュースになるのはろくな時ではありません。
 まず一番多いのが体罰、続いて部員同士のいじめ・暴力。活動中の事故、教員への顧問の強制、生徒への入部の強制、過剰勤務・過剰練習による心身の疲弊、全体としての学校教育と生徒への悪影響――「ブラック部活」などという言葉もささやかれる中で、しかし学校から部活そのものをなくそうちう話は全く聞こえてきません。それはなぜか。
 言うまでもなくそうした悪弊をはるかに越える長所・利点・教育的意義があると信じる人が大勢いるから。

【感動のカタルシス

 先週の「金曜イチから」ではゲストの内田良准教授(名古屋大学)が、部活の過熱する理由をこんなふうに説明していました。

 部活動というのは成果が見やすいのです、県大会に行ったとか――そうすると最初はいやだなあと思った先生も一回指導する、すると子供たちに力がつく、するとまたひとつ勝つ、そうなると今度は保護者も喜ぶ、生徒も先生もうれしい、そうするともうひとつがんばってみようかな、土曜日も日曜日もやってみようかな、そしてまた強くなったという中でついついブレーキが利かなくなっていってしまう、それが今の現状ですよね、

 内田准教授は物言いの優しい人なのでこんな柔らかい感じになりますが、ほんとうに強い部活というのは実際には生徒・保護者・顧問が三位一体となった凄まじく大きなうねりです。

 そもそもいったい教師と生徒と保護者が手を取り合って同じ目標に向かい、苦痛に耐え、努力を尽くし、その結果大きな大会で勝利し、一緒に抱き合って涙を流す――そんな美しい風景が日本以外のどこで見られるでしょう。
 また強いチームになるために培ってきた技能――強い体力や精神力、仲間に対する信頼や親や顧問への尊敬と感謝、ともに生きることとと一人で生きることの学び、努力は必ず報われるという確かな手ごたえ、多くに支えられて活動しているという実感――それらは爽籟必ず良い役に立つもので、それこそが教師の育てる本質的なものではないのか――彼らはそう考えますし、そういった主張に対して私たちも耳を貸さないわけにはいきません。

 もう一人のゲスト、元シンクロナイズドスイミングの小谷未可子さんはかつて安倍総理教育再生会議で「『30人31脚』はテレビで見て、非常に感動した。30人が息を合わせないと進めない、ここから助け合うことを学べるので、学校でもすぐ取り入れたらいいのでは」と発言(30人31脚のこと - カイト・カフェ)しましたが、部活動はその中学生版で、成果が膨大なことも、そしてだからこそ問題が少なくないことも同じです。
 

【私の場合】

 私の場合は少し違います。三流顧問でしたからそこまで深い感動をつくりあげることはできません。しかしもっと消極的な理由から、同じように過剰な練習にのめり込んでいきました。
 それは「私の生徒をコートのなぶり者にされたくない」という想いです。

 野球で言えば15対0のコールドゲーム、バスケットボールなら50対3、剣道なら開始2秒の一本負け、バレーボールなら2対0(25−3、25−2)。
 いくらなんでもそこまで弱いチームはないだろうと思うかもしれませんが、地区の最強チームと当たると一気に持って行かれるのはよくあることです。
 バレーボール部でしたが「負けるにしても必ず半分以上の点数は取る」を目標にしたらとんでもないことになってしまいました。18チーム中ベスト4以上の力量がなければ、1位のチームにはなぶりものにされる危険性があるのです。
 生半可なことはできません。
 

【活躍の場は多ければ多いほどいい】

スラムダンク」や「スクール・ウォーズ」は不良少年がスポーツを通して生き生きと生きる場を見つけ出していく物語です。
 現実世界では覚せい剤で有罪となった清原和博が、
「野球をやっていなかったら、極道にでもなっていたかもしれない」
と語っていました。
 そういう子は少なくないのです。プロに行くほどの器でなくても、学校内に部活だけが活躍の場であるような子どもたちです。

 とにかく勉強ができない、中学校に入る段階で英語以外のすべての勉強を諦めてしまっている、そして頼みの綱の英語も半年程度で分からなくなる、
あとは朝からひたすら放課後の部活動の時間を待っている、部活をやるために登校して、部活の通行税のような気分で授業を受け続けている。

「そんな子どもにも勉強の面白さを教えるのが教師の務めじゃないか」
――それこそ“ためにする議論”です。現実に国語や数学などに向かない子はいるのです。けれどそんな子でも、部活だけは活躍できる、できそうな気がする―それだけでその子は生き生きと学校生活を送ることができます。

 担任は総合的に子どもを見ますから、子どもにひとつでも自信の持てる場があり、一か所でも拠って立つ所があればそれを喜びます。自信をもって取り組むことができるものがあれば、それに引きずられて他の面も伸びて行きます。それが人間というものです。

 教科・道徳・総合的な学習・児童会生徒会などの特別活動そして部活――。教師は子どもを生かせる場はあればあるほどいいと考えます。

 学校に部活動はなくてはならないのです。

(この稿、続く)