やっぱり信じられる

 長く人生を生きてきて結局分かったことのひとつは、どうやら神様はほんとうにいるらしいということ、そして神様は人の出生には直接に関わらない、つまりその人がどんな家に生まれるか、どんな容姿や才能・能力を身につけて生まれるかには関与しないらしいということです。

 なぜなら神は人が生まれると同時にその人の前に現れ、以後長い長い交渉が始まるのであって、人が生まれる前に何らかの交渉や約束があるようには見えないのです。

 ある人が特別に優れた容姿や能力を持って生まれ出たとしても、生まれる前の何らかの原因によるではありません。別な人が何らかの障害や病気をもって生まれてきたとしても、それも理由があってのことではありません。ただ偶然によって、そのようになっただけのことです。生まれる前にその人は存在しなかったわけですから、神様と交渉しようがなかったのです。

 ただし、どこの家に生まれるか(金持ちか貧乏か、教育熱心な家かそうでないか、穏やかな家庭か荒々しい家庭か)や見目麗しいか醜いか、知的にレベルが高いか低いか、あるいは深刻な病気や障害をもっているかすこぶる健康か、といったことは人生に大きな影響を与えます。したがってその意味で、人は何らかの「運命」を背負って生まれてくるという言い方もできます。そのもって生まれた「運命」を前提として、その上でそれぞれがどう生きるか、それが神様との交渉だと思うのです。そしてその上で、

 よりよく生きようと努力する者には必ず恩寵がある、というのが私の結論です。ずるく立ち回ったり人を陥れようとする者には必ず天誅が下されるというのも私の確信です。

 今日までたくさんの子どもとその家族を見てきましたが、そうした天網をかいくぐって良い思いをしている人や家族など、ひとつもありません。短期的には利益を得たように見える人々も、やがていつか必ず罰せられる、そう考えないと理解できない没落や崩壊を、私はたくさん見てきました。

 学校は特定の宗教に奉じるような教育はできないことになっていますが、私が子どもたちに伝え身につけさせえたいと思うことのひとつはそうした宗教的態度です。仏閣で手を合わせ神社で拍手を打ち、その帰りにキリスト教会で十字架を切るような、宗教宗派の分類からすればとんでもないようなやり方であっても、必ず正義が勝つ、神様がそれをしないわけはないと理解できるような子どもを、私は育てていきたいと思います。