「子どもたちには次の人生がある」~進路が決まってから、親が注意しなければならないこと 

 受験もいよいよ最終盤
 進路が決まると子にも親にも さまざまな思いが生まれてくる
 しかし待てよ ここで対応を誤ると
 その数歩先で完全に手詰まりになってしまうことがある
 だから よくよく注意していこう
というお話

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【道は一つしか選べない】

 ネットのニュースをあれこれ見ていたら、『父が語った「貴景勝」灘高→東大あきらめて大関獲り』というのがあって思わず身を乗り出すように読んでしまいました。

 中日ドラゴンズの根尾昴君もそうですが、神様は時々、何かの勘違いで一人の子どもに二物どころか三物も四物も与えてしまうことがあります。ただし人間の方は、同時にすべて開花させることはできないので何かを捨て、何かを選ぶことになります。

 根尾君も貴景勝関も、東大とか医学部とかを選ばずにあえてスポーツの世界に飛び込んだ――そこがいいのであって、私はこういう話が好きです。
 私自身も、中学校の教員だったころの一番の自慢は、スイミングスクールに通いたいばかりに、いわゆる高校ランキングを一つ落として進学した子どもを持ったことです。

 それに比べたら、学校歴をワンランクげることに汲々としている普通の人間の、なんと愚かなことか――そういった気持ちもあります。しかし私自身もかつては“そういうこと”に汲々していた子どもでしたから、こだわる側の気持ちもわからないではありません。

 根尾君も貴景勝関も私の自慢の教え子も、勉強以上の何かを持っていたからそうした賢い選択ができたのであって、私のような何もない普通の子が、学校ランキングに振り回されるのはやむを得ない面もあるのです。

 

【程よい選別】

 日本の場合、普通の子は人生で2~3回の学力に関するスクリーニング(ふるい分け)を経験します。高校入試と就職活動、間に大学受験の挟まるひともいます。さらに遡って小学校受験・中学校受験といくつもの関門をくぐってきた人もいますが、普通は2~3回といったところでしょう。そうしたスクリーニングを経て、大半の人は学問や学力だけで生きていく道を諦めます。
 その仕組みを、私は程よいものだと感じています。

 かつてすべての子を無試験で高校に進学させようという高校全入制が議論された事がありますが、15歳の段階で選別をせず、18歳になって初めて現実を目の前に突きつけるのは、やはり問題だと思うのです。

 日々の授業や校内テストの中で自分の学力に見切りをつけ、受け入れる努力はすべきですが、やはり学問に関する能力というのはスポーツなどと比べるとどうしても見えずらいし期待値も高くなりがちです。そうした子どもたちを15歳の段階で1回ふるいにかけ、
「きみはもうしばらく学問を突き詰めてごらん」
「あなたは東大だの医学部だの言わず、自分に合った道を探すようにしたほうが良いのかもしれない」
「人には受験勉強の向く人とそうでない人がいるんだよ。きみの場合はあとの方だから、大学受験なんて考えて苦労するより、もっと他のことを考えた方が得だと思うな」

と振り分けてやるのはむしろ親切な事だと思うわけです。
 何もすべての人間が、高い学力を背景に仕事をしなくてはならないわけではないのですから。

 

【ほぼ全員負けになる】

 学力に関して大部分の人は、最後には必ず失敗して終わります。走り高跳びのように、バーを落としたところが諦める時点です。
 バーを繰り返し乗り越えてきた人――例えば有名中学から有名高校に進学し、最後は東大医学部に現役入学するような超勝ち組でも、中に入ってしまえば一番を取れるのは一人だけです。そのたった一人は別として、後は全員負け組。結局いつかは負ける。
 そうなると負け方をどうするかは重要なポイントになります。

 教師は常に“負け組”の子たちに配慮するよう訓練をしてるからいいのですが、親はそうではありません。我が子が親の望むような成績を上げてくれるか、行って欲しい高校や大学を受験できるまでに努力してくれるか、受かってくれるか、そういったことはすべて未知数です。

 そうである以上いずれ負けることを織り込んで、言葉や態度の端々にその日のための伏線を張っておかなければならないのに、案外それとは逆のことをやる親は多いのです。

 

【あんな学校に行く意味、あるの?】

「おまえ、こんな成績でよく恥ずかしくもなく学校に行けるね」
「あんたが受験するまで、こんな高校があるなんて知らなかった」
「(受験日に)あの程度の高校を受けるのに、あんた、震えてんの?」
「どう? 三流高校の雰囲気は?」

 私がかつて塾の講師をしていたころの教え子が、母親から投げつけられた言葉の数々です。その子との付き合いは中学校の2年生まででしたから、実際にこれらの言葉が使われたのは、私が辞めてからです。のちに大人になってから、わざわざ訪ねて来てくれたとき教えてもらいました。

 中学の後半から高校を卒業するまでずっとそんな言われ方をしていたみたいで、やがてその耳には、
「あ~あ、学費がかかって大変」
とか、
「用があるんだけど、参観日、行かなくてもいいかな」
といった言葉にも、いちいち「(あんな高校のために)」という意味が隠されているように感じたといいます。
 だから彼女は高校在学中から病みました。そんな娘だから、10年も離れていた私を探し出して(県教委に電話したそうです)会いに来てくれたりします。
 
 母親はどんな気持ちでそういう言い方を続けたのか――、一度吟味しようとしようとしましたが、闇が底なしで、怯えて遠ざかったのを覚えています。
 だから想像すらできないのですが、その親がほんとうにガッカリするような学校、親が本気でバカにするような学校、そんな学校に何年か通い、最終学歴として一生背負っていくのは本人のことなど、小指の先ほどにも考えなかっただろうことは分かります。
 可哀想だったなと思いました。

 

【行った学校がいい学校】

 進学先が決まったらとりあえずその運命を受け入れるしかありません。人生はその先もずっと長く続くのですから、受かった学校を“いい学校”とするしかないのです。不本意だからといつまでもウダウダ言っていても何の展望も開けてきません。それより、その学校を足場にして、より良い人生を築いていくのがもっとも手っ取り早く確かな方法です。

 進学が人生のゴールではありません。勝つ日もあれば負ける日もありますが、いずれの場合もその先に長い人生は続くのです。そのためにも、ずっと早い段階から我が子の負ける日に備え、「◯◯高校以外は高校ではない」といった言い方は避け、ランキングよりも努力を重んじる家庭の雰囲気をつくっておく必要があるのです。

 それがないと、例えば地域のトップ校に入ったとしてもすぐに、
「あなたをドベにしたくてあの高校にいれたわかけじゃない」
「なんのためにこの高校に行かせてやったと思うの!?」
「行った意味がないじゃない!」
といったことになりかねません。