カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「結局、教師しか残っていないと思う」~親に責任を取れといっても無理な場合がある

 たいていの子どもは親の願うようには育ちませんし、数々の失敗を繰り返してそれなりの大人になっていきます。学校に行けない時期があったり相当に荒れた時代があったりしても、そのほとんどは身の丈にふさわしい落ち着き場所を見つけるのです。それが普通です。しかしそんな「普通」の枠をはみ出してしまう人もいます。

 最近の報道が正しければ、昨年の10月、東北地方のある町で生まれた女の子は、父親が殺人者です。その殺人の被害者は母の姉と友人です。別の男の友人が重傷を負っています。 
 惨劇の原因のひとつは、実母のいい加減でフラフラした生き方そのものによるものであって、周囲の必死の防衛にもかかわらず、事件は起きてしまいました。 
 まだ生後4ヶ月のその幼子は、この先長い人生を、どのように送っていくのでしょう。

 少しぐらい不良がかっても10代で母親になっても、全体として見ればたいしたことはありませんが、人が殺され殺人者と被害者の家族が残されるといった段階まで進んでしまうと、取り返したくても取り返しようがありません。 
 もちろん一義的には殺人者本人が悪く、そんな状況を生み出してしまった赤ん坊の母親にも責任があります。そんな子どもたちを育ててしまった両方の家庭にも責任のある問題です。

 しかしいくら「責任」「責任」と追及しても、全ての親がきちんと子どもを育ててくれるわけではありません。その気のない親もいればその能力のない親もいます。そしてどんなに頑張ってもうまく行かない親だっています。

 私たち教員はいつも疲れ切っていますし、時間にもエネルギーにも限界はあります。しかしそんなことは百も承知の上で、結局、子どもの周辺には親と教師以外に大人はいないのですから、親にできない部分は私たちが補って行くしかないとそんなふうに思うのです。
 だれかが、子どもたちを救ってやらなければなりません。たとえ本人が嫌がったとしてもです。