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「この子は病気かもしれない」~不登校対応で心しておかなくてはならないこと

 不登校はたぶん1940年代にアメリカで発見され、最初は学校恐怖症(school phobia)という完全に病気扱いされるものでした。そのせいもあり、また数も少なかったことで日本では長く注目されてきませんでしたが、1970年代半ばに突然増加し始めて俄然クローズアップされるようになります。

 最初はその反応の強さから「登校拒否」と呼ばれ、さまざまな社会状況があって、やがて「不登校」という一切の価値観を排した言い方に替えられました。現在では毎年、およそ12万人〜13万人の不登校児童生徒が報告されています。以後今日まで、不登校(登校拒否)はさまざまな評価や反応を起こしてきました。

 初期の段階は、親にも学校にも「理由のいかんに関わらず学校は来るべきところだ」という思い込みがありましたから、親は布団を剥いで叩き出し、教師は夜討ち朝駆けの大攻勢という態度で、それでもそこそこ好成績を上げていたのです。しかしその後、そうしたやり方ではうまく行かない児童・生徒が見られるようになり、登校刺激は一切与えるな、といった世論が大勢を占めるようになるのです。

 1989年に出版された「登校拒否は病気じゃない」はそうした流れを一気に推し進める働きをしましたし、1992年に文部省が取りまとめた「登校拒否(不登校)問題について(報告)」で『不登校は特定の子どもに特有の問題があることによって起こることではなく「誰にでもおこりうる」,「登校への促しは状況を悪化させてしまう場合もある」』とされたことで、それは決定的な方向として定着してしまいました(1992年の報告については、2003年に一部訂正されます)。
 これによって不登校(登校拒否)の研究は非常に硬直化してしまいました。

 誰にでもおこるということは家庭環境・生育暦・性格・資質といった個人的事情は一切検討してはいけないということだからです(インフルエンザは誰でもかかる、だからかかりやすい体質や家系というものを研究してもムダだ、というのと一緒です)。
 これによって不登校に関する研究は10年以上遅れた
と、私は思っています。

 不登校といったってその原因はさまざまです。私も、深刻な不登校の大部分は「人間関係不全」に由来すると思っていますが、それとてすべてではありません。怠けによる不登校も、遊ぶに忙しくて学校に行く時間のない不登校も、家族全体が意欲に欠ける不登校も、さまざまなケースがあります。なかでも今日一番気をつけなければならないのは「病気による不登校」です。
 「不登校(登校拒否)は病気じゃない」にしても、不登校児童生徒の中に「病気で不登校」の子も必ずいるからです。

 全体としてはこれまでやってきた方法のままでいいのですが、頭の片隅に「この子は小児うつ病かもしれない」とか「愛着障害など別な問題を抱えているのかもしれない」といったことを置いておかないと、とんでもないミスを犯すことになりかねません。
 注意しておきたいことです。