カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「美しき明治の子どもたちの話」~世界が変ったのはつい最近のことだ

「こちらでは、うまく説明できないのですが、しつけというものが血のなかに流れていて、例外なく外にあらわれてくるのです。
 日本の子供が、怒鳴られたり、罰を受けたり、くどくど小言を聞かされたりせずとも、好ましい態度を身につけてゆくのは、見ていてほんとうに気持ちのよいものです。
 彼らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。
 日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、誤ちを隠したりはしません。青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです。
 そして子供のちょっとした好き嫌いは、大人の好き嫌いに劣らず重要視されます。じっさい、ものごころがつくかつかぬかのうちに、日本の子供は名誉、親切、孝行、そして何よりも愛国心といった原則を、真面目かつおごそかに繰り返して教えられます。我が英国の小学生ならば、小馬鹿にして笑いころげるところでしょうが」

 これは英国外交官婦人として日本を訪れていたメアリー・フレイザーという人が、1891年に本国に送った手紙の一節です。

 しかし「怒鳴られたり、罰を受けたり、くどくど小言を聞かされたりせずとも・・・」というのは、たぶんメアリー・フレイザーの目の届く範囲では、ということで、日本の子どもだって陰ではたくさん「怒鳴られたり、小言を聞かされたり」していたはずです。そうでなければ躾なんかできません。

 昔は、外国の方のおられるような場はたいてい「公」の場面ですし、公の場に出るときは、子どもは子どもなりに、年齢にふさわしい躾ができあがっていなければなりませんから、そんな風に見えたのでしょう。「公」の場でも躾をしていなければならないようでは、日本人として恥です。

 さて、今、映画館でやっている「ALWAYS 続・三丁目の夕日」は昭和34年が舞台ですが、上の文にあるような風景は、そのころには残っていたはずです。

 昨日、11月25日は三島由紀夫の37回目の命日でした。三島由紀夫の亡くなったのは昭和45年(1970)で、三丁目の夕日から10年余りのちということになりますが、その時期にも、似たような様子はありました。

 世界の変化は、わずかここ20〜30年のことだと、私は思っています。