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「その父親に何ができたか」〜北海道、しつけ置き去り行方不明事件に際して①

 北海道のいわゆる「しつけ−置き去り行方不明事件は、発生一週間目にして無事保護され、事なきを得ました。しかし社会的には大きな問題を残したと言えます。

 ひとつは国際評価です。
 イギリスのBC放送など欧米のメディアがこぞって速報を流したように、海外からの注目度も高くAP通信も無事保護の一報を受けて「親バカや専業主婦といった先入観があるが、それよりはるかに(日本では)子どもの遺棄や虐待が一般的」などと伝えているようです。(日刊ゲンダイ
 “一般的”とまで言われるとイラッとしますが、アメリカの基準に従うと子どもが親と離れているだけで虐待ですから、夕方児童公園で遊んでいる子どもや家で留守番している子ども、地下鉄に友だちと一緒に乗っている子どももみんな被虐待。したがって(日本では)子どもの遺棄や虐待が一般的というのも確かにその通りになってしまいます。
 ただし毎日5人の子どもが殺されそのうち4人は親の手にかかっているというアメリカに非難されるのも筋違いです。それに対しては一方的に反省したり引くのではなく、国際社会にはきちんと説明していく必要があるでしょう。
 日本は今でも親子が川の字になって眠る親子密着型の国です。運動会では親同士が席取りで喧嘩し、受験に成功したと言って親子手を取り合って泣くような国です。そのくらい子どもと密着し子どもを大切にする国ですから、叱るときにも特殊な形をとります。異性の親子が並んで寝ているだけで性的虐待になってしまう国とは、基礎となる条件からして違うのです。

 もうひとつは、山の中に置き去りにする、家から追い出す、あるいは物置に閉じ込めるといった“昔ながらの躾”が現在でも有効かといった問題です。
 私自身はそういった躾を受けたことはなく自分の子にしたこともなかったので、 今回の事件を通して「自分もやられた」「自分もやった」という話が次々と出てきたのには驚かされました。案外多くの親たちが同じ方法に頼っているのです。そしてさらに同時に聞かされたのは「親の気持ちも分からないでもない」といった多くの戸惑いの言葉です。

 これについて専門家は言います。
 日本大学文理学部の井上仁教授(児童福祉)は「日本ではお仕置きとして子どもを家の外に出したりするが、子どもは怖さから逃れることしか考えず、自分の行為を振り返らない。教育的効果はない」と指摘。「時間をかけても親が向き合って、何が悪いのか理解させないと意味がない」と強調した時事通信

 しかし井上教授は大切なことを忘れています。
 それは今回の事件の発端において、父親は子どもに言い聞かせ、一回目の置き去り地点から走って追ってきた子をいったん車に乗せ、そこでも話をして聞き分けがないのでまた置いたという事実です。ただ置き去りにしたのではないのです。
 もちろん教授はそれでも不十分だとおっしゃるでしょうが、しかし普通の親は小学2年生の子どもを言葉だけで折伏するだけの力を持たないのです。言葉だけで子どもを動かすのが専門の教員だってしばしば戸惑います。

 例えば、「人や車に向かって石を投げてはいけません」と説明し、「投げる方は面白くれも当たった方は痛いでしょ? けがをすることだってあるよね。車を傷つけたりしたら何万円も払わなくちゃいけないことだってあるんだよ」と話し、自分の失敗談を話し、人から聞いた最悪のケースを紹介してようやく話し終えたと思ったらもう石を投げている、そうした状況で次の一手を思いつく親はそうはいません。
 北海道の事件の父親だって口頭で叱って子どもが聞き分けれくれたら「置き去り」などといった面倒なことはしなくて済んだのです。

 父親には「置き去り」以外、打てる手がなかった――。それを、
何が悪いのか理解させないと意味がない
と言い切る以上、“専門家”はどういう言い方だと理解させ悪い行いを止められるか、具体的に説明する必要があるでしょう。父親として何ができたか、何をすべきだったか、もっともっと具体的に話さないと、それは単なる絵空事に終わってしまいます。

 もっとも、私自身は「何が悪いのか理解させ」れば子どもが良くなるとも、「自分の行為を振り返」れば正しい行いをするとも思いません。
 “専門家”たちは 子どもは理解すれば行動を正す、がんばると信じて疑いません。だから「何が悪いのか理解させないと意味がない」といった言い方をしますが、しかしどうでしょう。
 私たちは正しく理解すれば正しい行動をとるようになるでしょうか。

 恐縮ですが私自身は、
 今日がんばらなければ締め切りに間に合わないと分かっていながら努力を怠るときがあります(というかしょっちゅうです)。
 そんなに飲んでは体に悪いと分かっていながら深酒をすることもあります(というかしょっちゅうです)。
 制限時速は守らなければならないと十分理解していますが、周囲の車に合わせ平気で10kmオーバーくらいで走っています(というか、いつもです)。
 それは私が大人だからダメなのであって、子どもは理解するとサッと行動を正せる――
 そんなバカなことはないでしょう。

(この稿、続く)