カイト・カフェ

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「初雪です」~それで思い出した忠臣蔵

 風花かもしれませんが、今年初めての雪が舞いました。
 先週の金曜日、15日は赤穂浪士討ち入りの日でした。と言いますと歴史に詳しい方は「あれ? 講談では『時は元禄15年12月14日』って言わない?」ということになりますが、旧暦の一日は日の出から始まりますから、103年前の事件は、現在で言う15日未明のことなのです(ただしほんとうはこれも間違いで、旧暦12月14日未明は現在の1月31日ごろです)。

 人形浄瑠璃では「仮名手本忠臣蔵」で有名ですが、この題名、不思議だとは思いません?
 私は『忠臣』の大石『蔵』之介に関する、(漢文のテキストではない)仮名の手本(脚本)という意味かと思っていたのですが、まったく話が違っていました。

 習字で平仮名の手本として使う「いろは47文字」と同じ47人の偉業であり、人の手本となるので「仮名手本」、「忠臣」はそのままで、「蔵」は四十七士を陰で援助する劇中の豪商「天川屋義平」のことなのだそうです。
 「蔵」は「蔵持ち(=金持ち)」で拷問されても口を割らず「天川屋義平は男でござる」と見得を切った天川屋義平を表しますから、つまり「忠臣・蔵」は四十七士と豪商が肩を並べる構図になっているのです。

 四十七士と天川屋ではレベルが違うだろうと思うのですが、どうしてそんなことになったのかというと、「仮名手本忠臣蔵」(実際の事件より45年後に作られた)の作者の経済的支援者に天野屋利平という人がいて、その人が無理やり自分の名を入れたらしいのです。なかなか人間臭いところですね。

 日本の重大なテロはすべて雪の中で行われています。四十七士の討ち入り(1702)、桜田門外の変(1860)、2・26事件(1936)、すべてそうでした。