「飲み会に行こう!」

 土曜日は、ご苦労様でした。

 慰労会にはほとんどの先生方に出ていただき、私としては気持ちが楽でした。先生たちとの懇親ということで保護者から手が差し伸べられたのに、こちらはさっぱり応えない、というような状況だと管理職としてはかなり肩身が狭いのです。

 しかしだからといって、呼ばれる会合のすべてに顔を出していたら先生たちの身も財布も持ちません。私にしてもこのところ週に2〜3回ずつの飲み会に出ていますから、そろそろシンドくなってきています。私自身が勘弁していただくこともありますので、その節は「SuperTもそろそろ身体か財布が疲れてきているのだろう」とお考えの上ご容赦下さい。よろしくお願いします。先生方についても、出席できない時はそれなりの事情があるわけですから、遠慮なくおっしゃってくださって結構です。

 私は若い頃から、PTAの懇親会というのが非常に嫌いでした。まず酒が好きではない、金がもったいない、昔から早寝早起きですので生活のリズムを乱したくない、そもそもがあまり親しくない人との付き合いが重荷だ、とそんなところです。「酒のつくる人間関係は、一夜の酔いと同じように空しい」というではないか、これだけ疲れているのだから早く家に帰してくれることこそ慰労ではないか、金を稼ぎに来ている職場で無用な金を使うのはそもそもが矛盾しているのではないか・・・それらはすべて理にかなったことです。

 教員になればPTAの活動は職務の一部だ、それを任意団体なんだから手当も出せないというのはどういうことだ? 教員組合だって私たちのためにあるはずなのに、なんでこんなに金がかかり、おまけに休日や夜の時間まで奪われるんだ? それも合理です。

 ですから当時の私の考え方は今も間違っていないし、そう考える先生がたくさんいても不思議はありません。しかし、ある時期から、私は少し気持ちを変化させてきています。合理を追求することが、人間をちっとも幸せにしてくれないからです。

 煙草は身体に悪いから子どもたちを受動喫煙の危機から救おう、子どもの命は何よりも大切だから不審者対策は完璧でなければならない、遊具で子どもが傷つくことがあってはならない、子どもを苦しめてはいけないし学力も高めてやらねばならない(だから授業時間は減らし家庭学習も減らし、教師の授業力向上だけで問題を解決すべきだ)等々。

 PTAでの懇親会も組合への参加も、合理を追求していけばやめるにしくはありません。教育の条件整備や研修は県や市がやればいいのです。力のなくなった組合だってなくていい、ということになります。しかしそうしたものがなくなったとき、果たして私たちは幸せになっているのか? そう考えると非常に怪しくなってきます。

 飲み会に参加するのもひとつの方便です。それで失うもの(金や時間)もありますが、そこでしか得られないものもあります。PTAも組合もまたしかりです。