PTAはやがて滅びるかもしれない


 文明というのはもともと人間が自分でやっていたことを機械や社会システムにやってもらおうとするものです。したがって文明人は機械や社会システムに対してどんどん依存的になって行きます。依存的であるということは子ども的であるということですから、現代人はどんどん幼児化しているともいえます

 教員を含む公務員に対して日に日に要求が厳しくなっていく背景には、日本人のこうした幼児化が大きな役割を演じていると、私は思っています。

 学校は私たちのあらゆる要求に答えていくべきだ。

 先生はボクたちの考えを「同じ一個の人間として」先生の意見と同等に尊重すべきだ。

 学力を高めることと道徳性を高めることを、能力の差を抜きにして全員に与えるべきだ・・・。

 給食費の未納問題だって、そうした文明化の先にあります。未納者はちょっと先走っただけで、本道を外しているわけではありません。彼らはなぜ、自分がそんなもののために努力しなければならないのか分からないのです。教科書代も授業料も生活指導も生徒指導もみんなやってもらえるのに、なぜ給食費だけがこちらに押し付けられるのか、どう考えても理解できないのです。

 さて、そうした文脈から考えると、「何が悲しゅうてPTA役員なんかせにゃならんの」と、そんなふうに感じる保護者がいても不思議はありません。

「私には大切な仕事があるのに、なぜそれを置き去りにしてまで学校の仕事をせにゃならんの?」といったところです。

 現在、父親の育児参加といった運動や、学社(学校と社会)連携といった流れ、あるいは「地域に開かれた学校」といった動きから、PTA活動への期待は以前よりずっと高くなり、活動の幅は広がっています(高校より中学校、中学校より小学校と、下に行くほどPTA活動は過重になっています)。

 しかしこれは全体から見ると明らかな反動であって、将来的にPTA活動は消えていくしかありません。PTAが行ってきた活動は税金で賄われるか、そうでなければ単に活動がなくなって学校の教育力が落ちるだけです。しかし文明人は増税も大嫌いですから、文句を言いながらも、教育力の低下を甘受するでしょう。

 それまでの間、過渡期として、誠実で立派な人間だけがPTA活動で苦労することになります。しかしそれでいいのです。基本的にPTA活動にしっかり取り組むような家庭の子はきちんと育つものです。それが努力した親へのご褒美です。

(しかし、私が最近困っているのは、なって欲しくない人がPTA会長や副会長に立候補してしまうという逆転です。その中には名刺に「○○中学校PTA会長」と書き込んで商売の道具にしようという人がいます。あるいは遠い将来、地方議会に立候補するための布石として、周囲の反対を押し切って会長に名乗り出る人もいます。困ったことに、対立候補に出る人がいないので、そのまま通ってしまいます)。