カイト・カフェ

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「ゾンビの法則」~当たり前にやっている授業法に名前をつけて浸透を図る

 土曜日にK小学校の公開授業を見てきました。御存知の通り、K小の「売り」は、本読み計算と〇つけ法、復唱法です。
 本読み計算は計算ドリルを読み上げる方法、
 〇つけ法は全ての児童のノートに〇をつけて評価・確認・支援を行う法、
 復唱法は児童の発言をそのままオウム返しにして確認・支持を与える方法です。
 いずれも「そんなの前からやってるじゃん!」と言いたくなる方法です。しかしその「前からやってる」方法に理屈をつけ(理論化)、名前をつけて意識づけし(意識化)、誰にでもできるようにした(普遍化)のはS先生の手柄です。これは言わばコロンブスの卵ですから文句の言えないところでしょう。

 ところで、「前からやってるじゃん」ということになると、前からやっていることは他にもたくさんあるはずです。
 例えば(これはK小でもやっていたことですが)、ゴム磁石のネームプレートを作って黒板の右に貼りつけておき、発言のあるたびに中央の必要な場所に移す方法、これなどは、

  1. 発言に責任を持たせ、
  2. 授業者がまだ発言していない人が誰であるいかを把握し、
  3. 発言をしていない子にひそかにプレッシャーをかける(「右に残っているのはヤダ!」)優れた方法です。

 1の観点から名前をつけるとすれば、これは「命名責任法」ということになります。2の観点を重視すれば「ネームチェック法」、3の観点ならさしずめ「晒し者法」といったことになります。

 以前、余りのある小数の計算で、「はじめの時に消した(移動した)小数点も、余りを出す時には元の位置に戻る」という約束事を「ゾンビの法則」と名づけたところ、やはり印象深かったようで誤りはぐんと少なくなりました。
 その他にも「速さの唇」とか「SuperTの魔法スケール」といった技を私は持っています。どれもこれも他愛ないものですが、イメージづくりによって内容を覚えさせるという点ではなかなか価値があります。これは「イメージ命名法」と名づけましょう。こんなのは先生方の知恵を寄せ集めれば、たいへんな量になるはずです。

 もうひとつ、
 解法が三つも四つもあるような場合(三角形の内角の和の出し方などの場合)、それぞれのやり方に「〇〇ちゃんの方法」と名づけるのはほとんどの先生方のやっていることです。なぜ「ほとんどの先生」がやっているかというと、その解法が「〇〇ちゃん」や「その子が黒板で書いているときの様子」とと結びついて意識に定着しやすいからです。私たちは自然にそういうことを学んできます。これも「ネーミング法」と名づけましょう。

 日本の教育は近代教育だけですでに100年以上の歴史を持っています。その間に編み出され残っているものには絶対的な価値があるはずです。ただ残念なことに、それらは「自然にやってること」なので改めてその意味を考えたり(理論化)、意識的に行ったり(意識化)、誰にでも使えるようなものにしたり(普遍化)ということはなおざりになってきました。

 今後、授業研究をしようという時にちょっと考えてみると良いのかもしれません。
 理論化と意識化・普遍化に成功すれば、もしかしたら数年後、本校職員から大学教授が出ているかもしれません。