カイト・カフェ

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「そろそろ通知票の時期ですが・・・」~所見欄の書き方

 そろそろ通知票のことを考える時期になってきました。先生方は通知票の所見欄について、どのような指導やアドバイスを受けてきたでしょうか?(私は、受けた記憶自体がありませんが・・・)

 かつて私の息子が次のような所見を書いてもらったことがあります。
「担任が指示しないのに、自分から気づいて加湿器に水を入れていた。感動した。」
 これひとつです。恐らく「具体の姿で書け」といった指導を受けてきた人だと思うのですが、親としては「長い1学期間を経て、息子の良さはここ1点か? この程度のことができたといって感動されるような子なのか?」という気になります。もしかしたら実際にその通りなのかもしれませんが、これでは誉めようもありません。指導のしようもありません。
 多少抽象的でもいいから、どこが優れていてどこに難点があり、親として何をしたら良いのかの大まかな方向性が示されていいのではないかと思ったのです。

 そのこともあって、私は所見欄をかなり熱心に書く担任でした。
 所見欄にはその子の学校における全体像、教科における良さと困難点、指導の方向や家庭で補ってもらいたいことなどを中心に書きました。友だち関係について神経質な親もいますから、その場合は特に注意して書きました。勉強のことだけでなく、委員会や係の活動についても書きました。それを書かないとその子の人間性を浮き彫りにできないと考えたからです。

 通知票にはその子の悪いところは書かないようにしていました。通知票は一生その子の元に残るものだからです。欠点については口頭で言えば良いのです。相手方に残る文章としては絶対に書いてはならないと思いました。
 そうやって書き始めると、所見欄はいかにも少なすぎます。そこで私は紙に書いて糊で貼りつけるという方法を考えました。これだと、万一気に入らなければちぎって捨ててしまえば言いからです(もちろん親や、大人になったその子が捨てればいいという意味です)。

 このやりかたの最大の欠点は、とにかく時間がかかりすぎるということで、いい年をして私は終業式の当日の朝まで徹夜で書くということがしばしばあり、肝を冷やしました。しかし保護者の一番の安心は「担任の先生はウチの子をよく見ていてくれる」ということですから、こういう通知票は書くだけの値打ちはあります。
 その時も、今でも、通知票については御礼を言われることが少なくありません。