カイト・カフェ

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「子育てや教育の知恵は学校や保育園にある」~子どもの導き方のあれこれ⑤

 子育てや教育に関する情報は、ほとんどが科学的根拠を有していない。
 子どもを実験台に乗せて、あれこれ試すことはできないからだ。
 しかし子育てや教育には、私たちが時間をかけて獲得してきた経験則がある。
 学校はまさに、その経験則の宝庫なのだ。

という話。

f:id:kite-cafe:20210215081056j:plain(写真:フォトAC)

【子育て・教育の方法論は、科学的に証明されうるのだろうか】

 新型コロナウイルスのワクチンがようやく日本でも承認され、さっそく今日にも医療従事者を中心に接種が行われるようです。早くから取り組んでいたのにこれほど承認が遅れたことについては菅総理から説明があって、要するに感染が低く抑えられていたために必要なデータが揃わなかったためだとか。絶望的な感染拡大のあった合衆国やイギリスだとあっという間に数が揃うのに、頑張った日本ではなかなか難しいというのは何とも皮肉なことです。

 ただし今回のワクチン承認の様子を見てつくづく分かったのは、科学というのは究極的に数の問題なのだということです。ある薬が効くかどうかは数で証明するしかない。安全性も「10万人につき〇人」といったふうに数値で説明するしか方法がないのです。

 同様に、医学以外の場面でも――例えばある指導法が子どもにとって有効かどうかといった教育の問題であっても、科学であろうとするならば数で示すしかありません。もちろん、あくまでも「科学であろうとすれば」という限定的な条件の下ですが――。
 しかし生身の人間を扱う教育の世界では、簡単に比較実験というわけにもいかないのです。

【子どもを実験に供することができるのか】

 もちろん実験が不可能というわけではありません。
 コロナワクチンの例から考えると、一番簡単なのは生徒を「有効だと思われる新しい指導法を実施する群(実験群)」と「従来のやりかたで学ぶ群(対照群)」とに分けて観察し、成績を比較すればいいのです。その結果、「新しい学習指導法」で学んだ生徒の方が有意に成績が高かったら、その方法は有効ということになります。両群の数が増えれば増えるほど科学に近づきます。

 ところが教育者は、「己の信じる新しい指導法を実施しない群」が、目の前に存在するということに耐えられないのです。実験の結果、「新しい学習をしなかった群は極めて成績が悪かった」という結論が得られても満足しません。それはそうですよね。ダメだった群に改めて新しい指導法を実施しても当初の成績は得られないのかもしれません。
 これが「学習法」だったらまだしも取り返しがつくのですが、人格に関わること、道徳観だとか人間観だとかいった教育だった場合、直後にテストをして達成度を計るというわけにもいきませんから、わざわざ成果が少ないと思われる教育を施すなど、できるはずがないのです。

 近ごろは“エビデンス(科学的根拠・証明)”などと言う流行語が教育の世界にも入り込んできて、いわゆる教育評論家の中には「リモート学習の機会をさらに増やし、エビデンスのあるコンテンツを様々に用意して――」などと気軽に言う人がいますが、休校にもなっていないのにわざわざ学習をコンピュータ経由で行い、生徒を「有効と思われるコンテンツで学ぶ群」と「通常の授業をただ流される群」とに分ける学習を積み重ねデータを残す――そんなことができるはずがないでしょう。

【真実はテレビの中にある――のか?】

 では子育て・教育はいつまでも科学になれないのかというと、そうでもありません。“エビデンス”はなくても経験則としての「こういう指導法は有効だろう」とか、「こうした方がいいのではないか」とか、あるいは逆に「こういうことはやるべきではない」といった知識の積み重ねが教育の世界には確かにあるからです。

「こういう時には叱ってはいけない」
「こんな時には怒らなくてはいけない」
「子どもに言い聞かせるにはこんなふうにした方がいい」
 そういった知識は、かつては老人たちが独占していました。
「隣のばっちゃんがそう言ってた」
「そういうことなら〇〇家のじっちゃんに訊け」
 そんな形で大切にされてきた知識です。

 ところが時代の流れが急速になり変化が激しくなると、老人の知識だけでは追いつかなくなってきます。たとえば「Web会議サービスZoomの使い方をじっちゃんに教わる」というわけにはいかないのです。
 そうなると老人の知識よりも若者の知識が重んじられ、時間をかけて集積してきた先人の知恵よりも、学者や研究者のもっともらしい発言の方が珍重されるようになります。
 より正しい知識は隣近所ではなく、本やテレビやインターネットの中にあると、そう信じられるようになったのです。

【子育てや教育の科学的知識は学校にある】

 しかしどうでしょうか?
 科学というのは究極的に数の問題なのです。それを原則と考えれば、一番子どもと多く接し、一番多くの指導事例をもっている学校や幼稚園・保育園にこそ、もっとも科学的な知見はあるはずです。大学の先生の狭い研究範囲のなかにあるわけではありません。
 「指導教科別、この先生のクラスが荒れない」などと半分茶化しながらも、学校の先生たちが生徒にどういった指導をしているのか注目するのはそのためです。

(この稿、続く)