カイト・カフェ

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「ザルツブルクの小枝と藤原道綱母」~今さら大河、今から大河②

 同じ授業でも力のつく子とそうでない子がいる。 
 要するに知識の実のつく枝の大きさの差だ。
 それとは逆に、枯れ枝が投げ込まれた瞬間から、
 バラバラだった知識がひとつにまとまって行くこともある――
という話。(写真:フォトAC)

【同じ学習をしても差がつくのはなぜだろう?】

 同じ教室で同じように学んでいるのに知識のつき方に差が生れる、それはなぜか?
 答えはいくつか考えられます。

 ひとつは先天的な記憶力の差だというものです。世の中には「頭のいい人なんていない、要は努力の差だ」と言ったりする人がいますが、そんなことはありません。私のかつて同僚である英語科の先生は、1300人もいる大校の全生徒の、名前と学年とクラスと、兄弟関係と部活をすべて言うことができました。私が感心すると、
「いや、しょっちゅう生徒指導用写真を見て研究していますから――」
と謙遜しますが、そもそも自分のクラスの生徒の名ですらおぼつかない私のような人間は、1300人に挑戦しようという気にさえなりません。

 さらに遡ると私には学生時代に東大の医学部生と麻雀を打つという不幸な体験があって、そのときは彼らが《3か月前の麻雀のある局面で、誰がどういう牌を切ったのか》を共通の話題として話すことができると知って、震えあがってアパートに逃げ帰りました。そんな連中とやって勝てるはずがない。
 頭がいい、少なくとも《記憶力がいい》というのはそういうことなのです。

 学習に差がつくことの二つ目の説明は、今お話しした中にもあった「努力の差」というものです。もちろん10回復習した者より100回復習した者の方が身につきやすいということは当然です。またそれ以前に、ひとつひとつの授業への集中度の違いというのもあります。いずれにしろ心から頭の下がるような子は、私もたくさん見てきました。

【先行オーガナイザー】

 学習に差がつくことの三番目の説明は、《新たな知識が身につきやすい古い知識の体系の大きさと形に差がある》というものです。具体的に言うと、
藤原道長は親兄弟とは違って、摂政になる道を選ばなかった」
という知識を身に着けるのに、「藤原道長」「その親兄弟」「摂政という役割」について十分に知識のある子と、「摂政」は知っているが「道長」が誰か知らない子と、その両方を知らない子とでは新しい知識の付き易さが違うということです。

 この「古い知識の体系」のことを学習心理学では「先行オーガナイザー」と呼び、私はこの説明を「花咲か爺さん」の話としてしばしば紹介してきました(*1)。花咲か爺さんは小枝のいっぱいある大きな枯れ木に灰を撒いたのに、意地悪爺さんの方は枝の少ない、小さな枯れ木に灰を撒いたので、灰の大半は花にならず、枝から外れて殿さまの目に入ってしまったのです。
 「光る君へ」が面白くて仕方がないことには、この先行オーガナイザーと新知識の関係によく似た関係があります。

ザルツブルクの小枝と藤原道綱母

 「花咲か」ではお爺さんが枯れ枝に灰を撒きましたが、それとは逆のたとえ、枯れ枝を投げ込んだら花が咲いたという話はスタンダールの「恋愛論」の中にあります。
ザルツブルクの小枝」です。

ザルツブルグの塩坑で、廃坑の奥深くへ冬枯れで葉の落ちた樹の枝を投げ込み、二、三か月して引き出してみると、それは輝かしい結晶におおわれている」
 スタンダールは恋愛の過程のひとつである「結晶化」の譬えとしてこの話を持ってきましたが、私の感じるのは、何の関係もないと思われた個々バラバラな知識が、一本の小枝(体系・理念)が投げ込まれることによって鮮やかに関係づけられていく様子です。NHK大河ドラマ「光る君へ」を見ながら感じる喜びは、まさにそれです。

 例えば高校の日本史の教科書に平安時代の文化(=国風文化)の代表的作品として挙げられている「蜻蛉(かげろうの)日記」の作者、藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは:古典的表記に従って漢字では続けて書くが、読むときは「藤原」と「道綱」と「母」の間にそれぞれ「の」を足して読む)。私は大学入試を日本史で受けましたから当然「蜻蛉日記」「藤原道綱母」を暗記し、一方、国語の古典の時間でも「小倉百人一首」の学習で、同じ道綱母の短歌を暗記させられました。
「なげきつつ ひとりぬる夜の あくるまは いかに久しき ものとかはしる」
(嘆きながらひとりで孤独に寝ている夜が明けるまでの時間が、どれだけ長いかご存じでしょうか〈ご存じないでしょうね〉)

 暗記はしましたが、高校生の私には道綱母が正妻ではない妾(しょう)であって、「一人寝」は夫が正妻のところに行ったか、他に何人もいる愛人のところに行ったか、いずれにしろ自分以外の女の部屋にいるからであって、それを考えると一晩中眠れず、「夜が明けるまでの時間がどれだけ長いか」となる事情を理解できていないのです。

 また「蜻蛉日記」には、そんな生活の恨みつらみが山ほど書かれているらしいのですが、受験用知識ではそこまでの詳しさを求めませんから、道綱母を独りぼっちにさせた男が誰なのか、そもそも道綱が何者なのか、そうしたことも分かって来ません。
 ところが、大・歴史・恋愛・友情ドラマ「光る君へ」を見ていると、こうしたさまざまに曖昧なことが、一気に分かってくるのです。

大河ドラマザルツブルクの小枝】

 ドラマの道綱母(役名としては寧子〔やすこ〕がつけられていました)について配役を含めて書くと、この人(財前直見)、実は大河前半の最重要人物である摂政藤原兼家(かねいえ:段田安則)の妾なのです。
 彼女が嫉妬の炎を燃やした正妻時姫(ときひめ:三石琴乃)の方には多くの実子がいて、長男の道隆(みちたか:井浦新)を始め、道兼(みちかね:玉置玲央)、超子(とうこ:登場せず)、詮子(あきこ〈一条天皇母〉:吉田羊)・道長(みちなが:柄本佑)らが次々と出世したり天皇家に嫁したりといったのに対し、妾である寧子の子の道綱(上地雄輔)の方は本人のおっとりとした性格もあって出世が遅れ、歴史上も「藤原道綱母の息子(つまり本人)」という形でしか名を残せていません。道長よりも11歳も年上の腹違いの兄なのに、傍系はやはり傍系なのです。

 日本史の政治史部分で学んだ藤原道長と文化史で学んだ「蜻蛉日記」、国語の古典で学んだ「小倉百人一首」の「なげきつつ~」――バラバラだった三つの知識が「光る君へ」でひとつに繋がって目の前に置かれます。
「山雀(やまがら)の足ほどの太さもない細い枝も、無数のきらめく輝かしいダイヤをつけていて、もうもとの枯れ枝を認めることはできない」恋愛論
 これで面白くないわけがありません。藤原道綱母は無数にある私の「ザルツブルクの小枝」のひとつです。

 「光る君へ」はまだ半年以上も続きますし、「源氏物語」や「枕草子」に出てきた事物・できごと・行事・風俗などは今後も次々と具体的な形で見せてもらえるはずです。そして何と言っても「小倉百人一首」の絵札の台座で胡坐をかいたり立膝をしたり、琵琶を弾いたりしている人たちが、次々と動き始めるのです。これが面白くないわけがありません(あ、同じことを二度書いてしまいました)。
(この稿、続く)