カイト・カフェ

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「人も時代もよく知らないから面白い」~今さら大河、今から大河③

 NHK大河ドラマ「光る君へ」、
 人も時代もよく知らないから面白い。
 高校で学んだきりの「除目(じもく)」が甦る、
 「ただ歌を詠んだだけの人」が生き生きと動き出す、
という話。(写真:フォトAC)

【人も時代も、よく知らないから面白い】

 「光る君へ」は、私の生活の中に投げ込まれたザルツブルクの小枝です。ですから私がもともと持っていた知識のカケラは、簡単に吸い寄せられてくっつき、輝き始めます。

 例えば先々週来の放送に出て来た「除目(じもく)」――貴族や役人の人事発表および委嘱の行事ですが、これに関する枕草子の記述(「23段、すさまじき(興ざめな)もの」)が高校の教科書にあって、ですからまったく知らない世界の話でもありませんでした。

 ところがドラマを見て、除目が年2回、春は国司などの地方官を任じ秋は中央の役職を決めるものだということや、コネや賄賂が横行していたこと、あるいは除目が自己推薦から始まること、さらにはドラマの主人公の父親が10年ものあいだ毎年自己推薦状を出しながら一度も官職を得ることができなかったこと、やがて主人公と権力者との関係で国司に任じられることになると、任官に先立って位を六位から五位に引き上げて貴族扱いにし、そこから一段高い官職が得られるよう手配するなど、詳しいことが分かってくると官職を得ることがいかに難しく、国司になるとならないとでは天と地ほどの違うことが感覚としても理解できるようになってきます。現代で言えば国政選挙における当落の差みたいなものでしょう。

 枕草子第23段目「すさまじきもの」では根拠もないのに「今年こそは」と強い願いをもって駆けつけたかつての家来や雇われ人が、夜になっても元の主人に宮廷からの呼び出しがなく、今年も国司になれないと分かってすっかり落胆して帰っていく様子が描かれています。現代の選挙の落選事務所と同じですから様子はありありと目に浮かびます。また浮かれて集まり落胆して帰っていく人たちを「そんなに甘いものじゃないよ。興覚めなことねぇ」と冷ややかに見る清少納言の気持ちも分かります。除目に関するすべての知識が私の中で結晶していくからです。

 ネットの時代ですから知りたいことはすぐにも調べられるのですが、何を調べたらいいのかも分からない状況では「知」は向こうから来てもらうしかありません。単に楽しむために見ているドラマから、思いもしなかった知識が星のように降ってくる――それが今の私の、この上ない楽しみなのです。もっともそれは私がこの時代に無知だから面白いのであって、詳しいひとには当たり前すぎる話なのでしょうが――。

【男と見まごう名前の人々】

 当たり前と言えば紫式部清少納言も、私たちは女性だと分かっているからすんなりと姿を思い浮かべますが、本来は官職名ですから男性でなくてはなりません。ドラマの中でも「右大臣様」だとか「大納言様」といった呼び名が男性のものとして繰り返し出てきます。

 女性なのに男性の官職で呼ばれるのは、例えば紫式部の父親が式部丞(しきぶのじょう)だった時期があり、そこから「藤原式部丞の娘=藤式部」と呼ばれ、やがて紫式部に変わったと考えるのが一般的です。清少納言については式部より多少分からない部分もあるのですが、どうやら「清原家から出た娘で、かつて少納言の位にあった人の元妻」を意味する「清少納言女」がさらに縮んで清少納言になったと推測されています。
 同じように村上天皇の時代に右衛門志(うえもんのさかん)を勤めた赤染時用(あかぞめときもち)の娘が赤染衛門(あかそめえもん)、右近衛少将藤原季縄(すえただ)の娘は「右近」と呼ばれています。つまりどちらも「娘」が省略されただけの立派な女性ということになります。

 百人一首にはこうした男と見まごう名前の女性が、伊勢大輔(いせのたいふ)だの皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)だのと大勢います。考えてみたら持統天皇だって知らなければ男性だと思ってやり過ごしてしまうかもしれません。

【儀同三司母(ぎどうさんしのはは)の話】

 以前も書きましたが、「光る君へ」を見る楽しみのひとつは、百人一首で名前だけは聞いたことのある人々が、次々と人格や経歴や係累や物語をもって登場してくることです。
 現在ドラマで進行中の最大の事件は「長徳の変」と呼ばれるもので、藤原道長柄本佑)のライバルでもある甥の藤原伊周(これちか:三浦翔平)と隆家(たかいえ:竜星涼)兄弟が、今まさに失脚して行こうとしています。つまらない誤解から、ありもしない三角関係を疑って先の天皇に弓を引いてしまったのがきっかけです。この伊周は先の摂政の子で格式が高く、太政大臣左大臣・右大臣と同じ扱いという意味で、儀同三司(ぎどうさんし)と呼ばれることがありました。
 そうです。小倉百人一首の儀同三司母(ぎどうさんしのはは)*1は伊周の母であり、道長の長兄である藤原道隆(みちたか:井浦新)の妻(板谷由夏)に当たる女性なのです。
 この人は当時としては珍しく本名の伝わっている女性で、名を高階貴子(たかしなたかこ)といい、宮中では高内侍(こうのないし)という通称で鳴らした超有名人なのです。伊周・貴家の間に女の子がいて、これが一条天皇中宮定子(高畑充希)ですから、権力は盤石でした。それが息子たちの愚行によっておそらく今月中に(ドラマの中で)没落し、彼女自身も亡くなります。
 中宮定子の地位も相対的に大きく下がり、彼女に使えた清少納言(ファーストサマー・ウイカ)の立場もかなり微妙になっていきます。
(この稿、続く)

*1:忘れじの ゆく末までは かたければ 今日をかぎりの いのちともがな
「いつまでも忘れまい」というあなたの言葉が、遠い未来まで変わらないことはないのでしょう。 だから、いっそのこと(その言葉を聞いた)今日限りに命が尽きてしまえばよいのに。