カイト・カフェ

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「超難問=答えのない問題と答えのありすぎる問題」~子どもたちに正しい悩み方を伝授しよう②

ここにはいない仮想の生徒たちに向けて、
どうしても答えの出せない問題への答えの出し方、
正しい悩み方について、
話しかけている。
という話。(写真:フォトAC)

【下手の考え休むに似たり】

 私の父は武骨な実務家で、夢を語るとか、思いを語るとかいうことのほとんどない人でした。地方公務員としての職責を全うしましたが、私とはあまり話もしなかったように思います。というのは、私が父に似ぬ理屈屋で、小さなころから難しい話が大好きだったからです。
 
 父がそうした小難しい話に、ついて来られなかったとは思いません。これは生き方の問題で、それが終戦を23歳で迎えた青年のひとつの選択だったのだと思います。私が何か難しいことを言い出すと、深入りする前に、
「下手な考え休むに似たり」
とか言って、さっさと話を切り上げてしまうのが常でした。
「大したことのない議論はただ休んでいるも同じだ」という意味だと思って、最後はさじを投げて終わりにしました。
 しかし後年、この慣用句が、「下手考え」ではなく、「下手考え~」、つまり「下手な人の長考は、時間を浪費するだけで、なんの効果もない」という囲碁や将棋の世界の言葉だと知ってホゾを噛みました。父が大したことはないと考えたのは議論の中身ではなく、私の存在だったのです。
 
 ところがその「大したことのない息子」は当時そうとうな「悩める青年」で、「休むに似たり」と言われても考えることをやめることができませんでした。やめたいと思っても、思いは繰り返し頭の中によみがえってくるのです。
 どうしたら考えずに済ませることができるのか、それも当時の悩みでした。

【世の中には考えてはいけない、考える意味のない問題がある】

 やがて大人になって教職に就くと、悩みが消えたわけではありませんが、忙しさに取り紛れてものを考えられないようになります。そしてふと気づいた時、
「下手の考え休むに似たり」
は別の意味で私のところに戻ってきたのです。
 世の中には、ほんとうに「考えても意味のない」、あるいは「考えてはいけない」問題があり、何かを考える際にはまず「これは考えるに値するかどうか」「考えていい問題なのか」をを見極めてからでないと、手を付けてはいけないのだということが分かって来たのです。

 ある程度時間をかけて真剣に考えて答えも出なかったら、一度目先を変え、その問題には答えがないのかもしれない、あるいは答えがありすぎてひとつに決められないのかもしれないと疑ってみる必要があるのです。答えがない、あるいは果てしなくあるような問題は、いつまでも追い続けてはいけません。

【超難問=答えのない問題と答えのありすぎる問題】

 答えのない問題の代表は、「自分は何のために生まれてきたのか」です。
 ボールペンはインク漏れの心配をせずに書けるペンとして、橋はひとや車や列車が川を渡るための施設として、でき上がる前に開発者の頭の中に存在しました。開発者は頭の中にあるものを具現化しただけです。
 しかし人間は違います。サルもゾウも山も木々も、神様の話は別にすれば、予め誰かの頭の中にあって、それを具現化したものではないのです。何か決められた使命があってこの世に出て来たのではなく、ある程度生きて初めて「何のために生まれてきたのか」の答えはできてきます。それはつくるものであって探すものではないので、探したところで答えは見つからないのです。

 逆に答えの多すぎる問題の代表は「日本で一番すばらしい料理と言ったら何?」といったものです。「それは寿司です」と言っても「天ぷらです」と言っても絶対に全員を納得させることはできません。「いやラーメンだろう」とか「とんかつだよ」とか、いくらでも答えがでてくるのです。それを全部で10個くらい並べればいいかといえば、それも違うでしょう。
 「誰と結婚すれば幸せになれるだろうか」もダメで、あの人と結婚すればあの人と結婚した幸せと不幸が、この人と結婚すればこの人との幸せと不幸があるだけです。答えはいくらでも用意できますが、実はこちら側(自分)の在り方の問題です。

【本当に悩んでも答えが出ない問題】

 答えのない問題にいつまでもこだわってみても仕方ないでしょう。「答えがない」と分かれば、自然と忘れることができます。
 答えがありすぎて、本気で悩んでも答えが選べない問題は結局どれを選んでもかまわない問題で、後悔の多い人はどっちみち「選ばなかった方」のことばかりを考えて後悔しますし、前向きな人は自分の選んだ方を気に入って「それでいい」と感じるに決まっているからです。こういう場合は、はやいところ鉛筆でも転がして決めてしまいましょう。それで十分です。

 ただし経験的に言って、ふたつにひとつだとより辛い方を選んでおけば「後悔」は少なくて済みます。なぜなら「逃げなかったから」です。何かを決めるときに「逃げ」があるとやはり後悔します。「あの時もっと頑張れば」とか「あの時もっと勇気を出せば」という後悔はあっても、「あのとき楽をしておけば」とか「逃げっておけば」といった後悔は普通、ないものです。

【ほんとうに困ったときのおまじない】 

 さらにそれでも迷いが残り困り果ててしまったとき、私はひとつのオマジナイを呟いて凌ぐようにしました。それは「命までよこせとは言わんだろう」というものです。
 そうです。命さえあればどうということはないのです。世の中、生きていさえすれば、たいていのことは何とかなるものです。
(この稿、終了)