カイト・カフェ

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「天才バカボンとはだれのことか」~プロの漫画家たちの教養が高すぎる話

 二十歳代の初めころ一時期仏教に傾倒して少々勉強したことがあります。そのとき知ったのがヒンドゥー教聖典「バガヴァッド・ギーター」です。これは古代ギリシャの「イリヤド」「オデッセイア」に匹敵する大叙事詩で、インドの英雄クリシュナ神を主人公とする物語です(読んだことはないのですが)。私と同年代の人には懐かしいあの「ハレ クリシュナ ハレ ハレ」(ミュージカル「ヘアー」 映画バージョンはここ)のクリシュナです。

 もとはバラモン教聖典ですので仏教伝来とともに中国に移出されます。もちろんその際はサンスクリットから中国語に翻訳されるのですが、その表記が「薄伽梵(バガボン)経」なのです。バガヴァッド(バガボン)とは世尊、解脱せる者といった意味ですからある意味「バカボンのパパ」そのものと言ってもいいのかもしれません。赤塚不二夫はそれと知ってこのマンガを描き始めたのでしょう。

――以上は昔からの私の持ちネタで、赤塚の教養を示すとともに私自身が知識をひけらかすのに都合のよい話でした。ところが今回、確認のためにネット検索にかけたら、この話、けっこうたくさんの人が知っていて話題にしていました。確かに僧籍にある人など「天才バカボン」と聞いただけで薄伽梵経のことを思い出したに違いありません。
(中にはとんでもない勘違いもしくは作り話もあって、あるサイトを見ていたら「古代インドにバカボン教という宗教があってその教義は『それでいいのだ』」とありましたが、むしろなかなか含蓄のある話だと思ったりしました)

 赤塚不二夫がそのことを知っていたのかという点についても、本人が「天才的にバカなボンボンの話だ」と表明していた(Wikipedia)そうですから、単なる偶然の一致ということになります。「天才バカボン=薄伽梵発祥説」は後付けですが、それくらいの教養は当然あっただろうと思わせるだけの力が、赤塚マンガにあるということでしょう。

 池田理代子は「ベルサイユのばら」を描くためにどれほどの調査・研究をしたのか、想像に難くないところです。
 さいとうたかをは「さいとうプロダクション」という会社で分業によって作品を作ります。したがって専門の脚本家がいるのですが、それにしても政治・経済・歴史と扱う範囲が広く、私は「ゴルゴ13」を読みながら近現代の政治史・事件史を学びました。つい数年まえに再発掘された「カティンの森事件」や今も時々顔を出す「M資金問題」なども、ニュースになるたびにウキウキできるのはすべてゴルゴ13のおかげです。
 ジョージ秋山の「はぐれ雲」を通して、私は江戸の風俗について学ぶことができました。政治史や経済史というのは調べやすいのですが、風俗史というのは図版がないとなかなか身につかないのです。荻生徂徠の「徂徠訓」のというのもこの作品を通じて覚え、折に触れて紹介してきました()。
 以上、マンガを読めば勉強になるという話をしているのではありません。プロのマンガ家としてやっていくにはそれだけの教養と勉強が必要だということです。

 昨日はマンガ家志望の中学生へのアドバイスについて書きましたが、勉強を強調しすぎると夢をさっさと捨て、「ボク、アニメーターでいいです」といった子も出てきます。プロのマンガ家として独り立ちすることに比べればずっと楽かもしれませんが、誰もがなれる仕事ではありません。そして(私の友人の息子がやっているのですが)いつまでも食うのに困る仕事だとも聞いています。背中を押すのも慎重にならざるをえません。

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