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「沖田✕華はいかにしてあの表現力を獲得したのか」~NHK土曜ドラマ「お別れホスピタル」を見て

NHK土曜ドラマ「お別れホスピタル」。
難しい人間関係の綾が織りなされていく。
しかし原作者はどうやってあの表現力を手に入れたのだろう。
典型的なASD自閉症スペクトラム障害)だったはずなのに。
という話。ゴッホ「カラスのいる麦畑」)

NHK土曜ドラマ「お別れホスピタル」】

 NHK土曜ドラマ「お別れホスピタル」(全4回)のうち、第2回までが終了しました。
 このドラマは沖田✕華(おきた ばっか)の漫画を原作とするもので、NHKとしては2018年の「透明なゆりかご 産婦人科医院 看護師見習い日記」に続く✕華の医療ドラマと言えます。
 原作者ばかりでなく脚本の安達奈緒子、音楽:清水靖晃、演出の柴田岳志、そして挿入歌のCharaまで同じですから、雰囲気はかなり似てきます。
 しかし「透明な~」の主人公が当時16歳でほとんど無名だった清原伽耶であるのに対し、「お別れ~」は既に定評のある31歳の岸井ゆきの。「透明~」の舞台が町の小さな産科医院であるのに対し、「お別れ~」は大きな病院の「療養病棟」、事情があって在宅医療のできない人や終末医療の患者の場、つまり回復して退院していく人のほとんどいない病院といった違いはあります。
 主人公の二人とも家庭に問題を抱えていることや、原作では一話完結であるものを複合的に構成して映像化する手法は、両者に共通のものです。
 
 第二回(2/10)の放送でも、若い男性ケアワーカーに関係を迫る認知症の女性の物語やナースコールをやたら押して無理難題を持ち出す男性患者、一分一秒でも長く生きてもらいたいと延命措置を望みながらそれが本人にとっていいことなのかどうか迷い続ける妻の話、さらには息子の中の女性性に《これは本格的に勉強し直さなくてはならないのか》と思い始めた先輩看護師の話など、背景のように、あるいは伏線のように物語が進み、その間を今回の中心的な物語が粛々と進行します。

【第2回の物語】-ネタバレあり

 高橋恵子の演じる老いた妻は、肝臓がん末期の夫と同じ病室に介護疲れで入院します。長年連れ添った妻は夫の「おい」ですべてがわかり、自身の体調が悪い中でも適切な対応を続けます。主人公も仲の良い医師も「愛があふれた病室」と感心するのですが、そこには想像もしなかった複雑な感情が働いていた――というのが今回の中心となる軸です。その難しいやり取りを観ながら、私は人間の行動の下に蠢く別な感情、抑えきれない情動、積もり積もった動かしがたいものを、重苦しい気持ちとともにくみ取ることができました。
 それはもちろん演出の力であり、高橋恵子という俳優の力であり、脚本の力でもあるのですが、なんといっても原作のもつ圧倒的な注意力、観察眼が、大切な事実を見逃さなかったからです。

【沖田✕華はいかにしてあのような表現力を獲得したのか】

 沖田✕華という作家は、私に困った問題を突きつけます。というのもこの人はWikipediaに次のように紹介されるような人だからです。
[症状]
数多くの発達障害と共生している。映像記憶(見た景色を映像のように記憶している)と共感覚(音楽を聴くとカラフルな玉が見える)の持ち主。
アスペルガー - 『映像記憶』『相貌失認』『聴覚処理障害による聴覚過敏』『末梢鈍麻』『味覚の感覚過敏』
学習障害 - 『空間認知の欠如』『計算障害』『書き文字障害』『ディスレクシア
注意欠陥多動障害 - 『注意力散漫』『日常的な集中力欠如』『健忘症』『重度の短期記憶障害』『整理整頓ができない』
二次障害では、小学生の頃、授業中に場面緘黙症と過眠症を発症し、現在も完治していない。   
 こんなにたくさん書くとかえって分かりにくくなりますが、要するに表向きは何の問題もないように見えて、ひとと会うたびにその人の人物像や人物評を記録して一種の対応マニュアルをつくらなくてはならないような人です。社会とは比較的うまくつき合えていますが、それでも誰かが付き添っていた方がいい、そういう面もあります。

 私の混乱は自閉症スペクトラム症の女性が、なぜあのように難しく厄介な心理の綾に気づき、それを漫画にして定着させることができたのかということです。原作の漫画にも当たりましたが、独特のこだわりだとか他者に対する無関心、人間関係の分からなさといったものは微塵も感じられません。
 看護学校を出て看護師として社会人生活を始めた当初から、沖田✕華は人間関係が上手く行かず、ちぐはぐな生き方をしてやがて風俗関係の仕事を転々としてきた女性です。それがなぜあのようにきめの細かい人間模様を描くことができるようになったのか――。

【天才芸術家たちの前で起こっていること】

 芸術家というのは常人が表現できないものをさまざま道具(言葉だとか絵具だとか楽器だとか)を使って形にして見せることのできる人たちです。その中には病気や障害によって生まれる特別の感覚や見方を表してくる人もいます。

 頭の中で突然鳴り響く巨大な“叫び”に、思わず耳をふさいで顔を歪ませ、同時に空間も歪むさまを絵画にできたムンク。心で感じるもの、目で見えるもののすべてに水玉がついている様子や、頭の中を蠢く無数の虫たちを凄まじい速さで絵画にし続ける草間彌生ゴッホの“星月夜”や“糸杉”も、実際に見えていたものを単にキャンバスに移しただけなのかもしれません。
 《もしかしたら死神にドアを叩かれ、“鎮魂歌(レクイエム)”の依頼を受けてしまったのかもしれない》と怯えるモーツアルトは、死の床でしか聞こえない音楽を実際に聞きながら、音符に替えていたのかもしれません。
 沖田✕華、とても気になります。しばらく見ていましょう。