7月に入って、新たな夏ドラマが始まった。
しかし主演レベルが知らない俳優ばかり。
実生活でも、知らない人が親し気に声をかけてきたりする。
相貌失認――しかしそれにもめげず、他に伍してきた私は立派だ
という話。 (写真:フジテレビ:サイトにリンクしてあります)
【夏ドラマが始まった】
7月も第2週に入りましたが、そろそろ夏ドラマの初回がぽつりぽつりと始まっています。ドラマの改変期は毎回そうなのですが、他局の新ドラマを潰すための特番が目白押しで、映画もかなりの有名どころが放送されるので、観る方はたいへんです。
正直言ってこの齢になると心から楽しめるドラマは1シーズンにせいぜい2~3。しかしその2~3を選び出すためにほとんどすべての初回を見るわけですから、なかなかしんどい作業ではあります。今シーズンは今のところフジテレビの月9枠「海のはじまり」がよさそうな気がしています。
プロデューサー・村瀬健、脚本・生方美久、監督・風間太樹は評判の高かった『silent』と同じ組み合わせです。出て来る俳優陣も目黒連、大竹しのぶ、池松壮亮、木戸大聖といったなかなかの面々。今回の目黒君は少々情けない若者の役で、「ああ、この人はこういうことをやらせるとうまいんだ」と感心させられ、大竹しのぶさんは出てくるだけ空気を全部自分の者にしてしまいます。
余談ですが、大竹しのぶと池松壮亮は並べてみると実の親子ではないかと思われるほど顔が似ています。また、子役の泉谷星奈ちゃんは、芦田愛菜さんの再来と言っていいほどの天才ぶりです。
さて、そんなふうに説明しながら、私は主人公の二人の女優さんの名前を、わざと落としています。古川琴音さんと有村架純さんです。なぜ落としたのかというと、古川さんはドラマの途中まで、有村さんは終わってもなお、本人だと分からなかったからです。
【主演級の女優さんが知らない人ばかり】
古川琴音さんは、失礼ながらお世辞にも美人・美女とはいえない人ですが、とてつもなく妖しい雰囲気を持った女優さんです。私は数年前のサントリーのチューハイカクテル「ほろよい」のコマーシャル*1ですっかり魅了され、昨年は「どうする家康」の前半で家康の妻、瀬名(築山殿)の周辺に出没する謎の女性として出演していました(今思い出しましたがこのとき瀬名の役をやっていたのも有村架純さんでした)。
その古川さんがコマーシャルというファンタジーでも、「どうする家康」のような歴史物でもなく、普通の生活をする普通の女の子を演じると、私にはそれが誰か分からなくなってしまうらしいのです。
有村さんの方は最近急に痩せたという評判で、私が見間違えても仕方のない面もあると思いますが、あとでVTRを見た妻は瞬時に有村さんだと言いましたからやはり問題は私でしょう。
先週は「海のはじまり」以外に「青島くんはいじわる」(テレビ朝日、土曜午後11時)というラブコメディもちょっと気になったのですが、ここでも主演の中村アンさんが分かりませんでした。相手の主演男優は目黒連君と同じSnowManのメンバー渡辺翔太くんなのですが、こちらは分かります、見間違えることはありません。
【近所の人が分からない、実の弟も分からない】
こうしてみると若い女性の顔ばかりが覚えられないみたいですが、それはおそらく若い女優さんたちが役に合わせて化粧やアクセサリ、服装などを大きく変えるからでしょう。しかし男だったら大丈夫、年長者なら大丈夫ということでもありません。実生活では老若男女、分からないときはまったく分からなくなってしまいます。
学校勤めをしていたころ、職員室のやや遠いところから「Tさん!」と声を掛けられ、そちらに目をやると初老の男性がニコニコしながら私を見ています。何かを納入しに来た業者さんらしいのですが誰か分からない。ただし学校で知り合った業者さんが私のことを「さん」付けで呼ぶことはありませんから(「~先生」と呼ぶのが普通)外での知り合いなのでしょう。でも分からない。そこできょとんとしていると、
「オレだよ、オレ、M!」
名乗られた名前にもピンとくるものがなくて、さらにボーっとしていると、
「組長のM!」
いや、そのスジの人とのつき合いはないけど、まさか2年1組とかいうときの組じゃないよね? とか思っているとさらに重ねて、
「ご近所のM!」
それでやっとわかりました。隣組でそのとき組長をやってもらっていたMさんです、日曜日に散歩に出て、そこで会えば絶対に分かるMさんが、学校の、職員室という枠内で見るとまったく分からないのです。
さらに言えば夏祭りの夜、盆踊りのパレードを見ていたら踊りの連から飛び出してきた男性が「お~い!」と呼びかけながらこちらに近づいてきます。知らない人です。それでいて人違いの雰囲気がまるでありません。自分の周りを見回しても、返事をしそうな人は誰もおらず、おい、おーいと言い方を変えながら間近まで来たその人は、「おい、オレ、兄貴! オレだって!」。
私のことを「兄貴」と呼ぶのはこの世にただひとり、そう思ってよく見たら実の弟でした。のちのち随分と呆れられましたが、その弟も数年前、新宿駅で待ち合わせた私が誰か分からず困っていましたから、似た者兄弟です。
【相貌失認】
人の顔の区別がつかない、覚えられないという障害があって「相貌失認」というのだそうです。脳の損傷などによって発症する場合もあれば、先天的なものもあるみたいです。ちょっと混乱して分からなかったというような軽度のものから、お迎えに行った保育園の園児の中に自分の息子を毎回探し出せないといった重度のものまで、様態はさまざまなようです。
私の場合は良くも悪しくも「枠」が重要みたいで、コマーシャルや時代劇という枠の古川琴音さんなら分かるが現代劇の古川さんは分からない。若くて明るくて、けれど甘えん坊の面もある有村架純さんなら分かりますが、安定して強く、頼りがいのある年上の有村架純さんは分かりません。
学校にいるご近所さんも、街中で踊っている弟も、未知の存在ですぐには判断できないのです。
【私も昔は偉かった、よくがんばってきた】
それにしてもお粗末なこの認識力、それとは別に、いつも嘆いている薄っぺらな記憶力、そして脆弱な判断力、その程度の能力でこの齢まで世間を渡り歩いてきたのですから私も大したものです。よく頑張りました。
――と、最近は前向きに考えるようになっています。
「おまえは能力が低いのによく頑張ってるね」
もちろん口には出せませんが、すべての親が自分の子に対して、あるいはすべての人が自分に対して、そんな態度で接していたら、人生の問題の半分くらいはなくなってしまうのかもしれません。