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「シャーペンは子どもの背骨を曲げる」~美しい文字を子どもの財産として残すために④

 シャーペンで書き続けることは、字を汚くする最短距離だ。
 それだけではない。ペンを立てるとペン先が見えなくなる。
 そのために子どもたちはさまざまな方略を生み出す。
 そして子どもの背が曲がる。
という話。(写真:フォトAC)

【「鉛筆の芯先が見えない問題」の解決法】

 シャーペンは寝せて使えない筆記用であるため、どうしても立てて使わなくてはならない。するとペン先の可動域が極端に狭まって自由な運筆ができず、字は小さな丸っこいものになる。つまりそれは「ハネ」も「ハライ」もきちんとできていない下手な字だ、という話をしてきました。しかし問題はそこに留まりません。軸を立てて文字を書こうとすると、ペン先が見えなくなってしまうからです。

 一昨日のブログで正しい鉛筆の持ち方を説明した際、私は『「正面から見て外側に20度」は、決定的に重要なポイントなのです』と書きましたが、この20度は《鉛筆をどう動かしても芯先から目を離さないでいるための20度》なのです。外側への傾きがなくなると、引き寄せた時に芯先が母指の付け根の下に隠れて見えなくなってしまいます。見えないまま運筆を続けることはできません。

 では軸を垂直に近く立てて、いつも芯先が見えないようなところから書き始めている子どもたちは、「見えない問題」をどう解決しているのでしょうか? これには何通りものやり方があるようです。

1. 横から覗き込む

 低学年の子にときどきみられる形です。左肩を下げ、本気で横から覗き込みます。しかし楽な姿勢ではないのでそのうちに頭蓋の重さに負け、机の上の左腕に頭を乗せると、そのまま寝た形で書き続けたりするようになります。

2. 下から覗き込む

 先日も少しお話しした《軸の角度120度》の子たちです。「垂直に立てる」を通り越して、鉛筆の尻が身体の反対側に行ってしまいます。それで浮き上がった手首の下(親指の付け根あたり)から芯先を見ます。そこまでくると鉛筆を持つ手の人差し指の先が、どんどん内側に食い込んで、その上に親指が被さるようになります。正しい持ち方もへったくれもありません。
 今日のタイトル写真の子も、一見するときちんとした書き方をしているかのように見えますが、親指が人差し指の上にきていますから日常的に下から見る書き方をしているのでしょう。可動域はマイナス数値となっています。

3. 手首を内側に反す。

 芯先を見るために、手を内側に曲げるのです。右の写真の子を見るとシャーペンの軸が横を向いて3時15分前(の短針)みたいになっています。本当は写真を真上から見て5時か4時の方角になりますからいかに深く手首を反しているかがわかろうというものです。
 しかもこの曲げ方だと例えば「十」という漢数字を書くとき、第一画は普通の人が縦棒を引くように指を内側に曲げ込んで書き、第二画は手首を上から下に払うよう反して引くことになります。しかしこの動き、手首を立ててみると第二画を右から左に線を引くという、ほとんどありえない運筆になります。苦しいですよね。
 「芯先を見るために手首を反したい」「手首を反すと筆順通りの運筆が苦しくなる」
 やがてこうした矛盾にも解決方法が見つかります。
 90度返した手首を半分戻す。その代わり紙の方を45度右上がりに傾け、ふたつの矛盾を解消するのです――そう言えば紙を傾けて書く人って、かなりいますよね。

4.上から覗き込む

 ごく少数ですが、芯先を上から覗き込もうとする子もいます。その場合はノートや鉛筆を自分の側にたくし込むような形になります。しかし長続きせず。横や下からの《覗き込み》、あるいは《手首曲げ》に移行していくようです。
 いずれにしろ、長時間の学習に向かない、苦しい姿勢には違いありません。視力との関係に言及している資料を私は知りませんが、そちらの面でも影響はあるのかもしれません。

 このうち大人になると、一部の人は症状を改善させることがあります。銀行や役所の窓口で、ペン先を横や下から覗き込むようにしている人はまずいません。何と言っても姿勢が悪く、みっともないからしょう。しかし手首を反す書き方は、本人も意識をしにくいのか、あるいは覗き込み筆記をやめた人たちが《手首曲げ》に逃げるため、いつでもどこにでも必ずいます。
 手首曲げ筆記と汚い(少なくとも美しくない)字はセットですから、手首曲げで書き始めた瞬間から、その人が教養のない人に見えて、私などはすっかり興ざめしてしまいます。それが美女やイケメンだったりするとさらにがっかりするのは、俳優の宮沢りえさんや斎藤工さんで経験済みです。イケメンではありませんが、ある意味で日本一の教師である武田鉄矢先生の字が汚いのは、ガッカリを通り越して問題だとすら思います。

【もうひとりの犯人、そして理想の筆記具】

 さて、「シャープペンシルで書くと、字は下手になる、背骨が曲がる」とシャーペンの悪口ばかりを書いてきましたが、実はさらに字にも体にも悪い筆記用具があって、それはボールペンなのです。なにしろ推奨角度が60度~90度ですから、ほとんど「軸を立てて書きましょう」と言っているも同じです。そして60度~90度では絶対に字はうまくならない――。
 幸い小中学生でボールペンを日常使用する子は多くありませんから、シャーペンほどには気にしなくて良いでしょうが、子どもには赤ボールペンですら使わせたくないところです。

 逆に、軸を立てるのではなく、ある程度寝かせた方が書きやすい筆記用具もあります。代表は万年筆です。今は使う人が極端に減っていますが、万年筆の推奨角度は45度~60度。鉛筆とほぼ同じです。しかし鉛筆とは異なり、垂直に近く立てるとむしろ書きにくいという優れた性質があります。ペン先が左右に揺らぎ、線を上に向けて引こうとすると紙面に引っかかる場合があるのです(たぶん高級品だと引っかからない)。
 ですからどうしても深く傾けざるを得ず、美しい文字を書くという点では現在も最適の道具です。子どもの美しい字を守りたかったら、早い時期からボールペンの代わりに持たせるといいかもしれません。赤ペンが万年筆というのはかなり格好いいようにも思いますが、子どもの感覚とは合わないかもしれませんね。

【さらにもうひとりの共同正犯】

 月曜日から続けてきた「~美しい文字を子どもの財産として残すために」はシャーペンとボールペンという二つの悪を指摘し、万年筆という理想を示してこれで終わりにしてもいいようなものです。しかし私にはもうひとつ、筆記用具とは別に、鉛筆を立てさせることに責任のある、共同正犯と言っていい犯人に心当たりがあるのです。それについて黙ったまま終わらせるのは、やはり卑怯な気もします。
 (この稿、次回最終)