「黒板」�B〜黒板の名手たち

 ほんとうに切ないくらいの悪筆で、自分の文字は一字たりとも世間に出したくない――そういう情熱が私のコンピュータ・スキルの原動力です。だから8ビットコンピュータの時代からワープロ・ソフトを探しまくり、ワープロ専用機はもっとも早い時期に購入しました。

 学級通信も学年だよりもワープロ。高校へ出す調査書(内申書)を最も早くワープロ書きに変えた教員のひとりは、おそらく私です。

 そこまで情熱をもって取り組んだにもかかわらず、どうしても乗り越えられなかったのが「黒板」です。黒板ばかりはどう足掻いても手書きにせざるを得ず、しかも常に大勢(少なくとも生徒たちに)に見られる場です。別の言い方をすれば、最後まで自分の惨めさを晒す場だったのです。

 ところがその「黒板」こそ最大のパフォーマンスの場だという教員だっています。そのはじめは「黒板文字」の名手たちです。

 とにかく板書の文字が美しい。ふだん紙に書く字も美しいのですが、黒板に書くと圧倒的によく映える、そういう文字があるのです。毛筆はもちろんペン習字の文字とも異なる「黒板文字」としか言いようのない字体です。

 特徴としては角(かど)の取り方が少し大げさでハライやハネが毛筆などとは異なる(最後までチョークが黒板から離れない)、一つひとつの文字の右肩上がりが甘い、色がかすれないなどがあるのですが、言葉で説明するのはなんとも歯がゆい感じです。

 今回、思いだしてネットでさまざまに画像検索をかけたのですが、どうしても見つかりません。私自身は何度も目にしていてそういう文字を書く先生をたくさん知っていますから「黒板文字」が存在するのは確実ですが、それがネット上にないというのは、書道やペン習字のように体系化され確立した分野ではない証拠なのかもしれません。書いては消される「黒板文字」の宿命とも言えます。

 私は一度、「黒板文字」の名手に教えを乞うたことがあります。しかし師匠としてあてにした先生は「は?」といった感じの反応で、ご自身なんの自覚もない様子でした。自覚のないものは伝えようがありません。現在ならその板書を写真で残し、ひとつひとつ真似て練習すればいいようなものですが、当時はそういうこともできませんでした。放課後、余裕ができたときに“師匠”の教室に行っても、何も残っていないのです。

 黒板のパフォーマーは「黒板文字」の名手ばかりではありません。学校のイラストレーターと呼ぶべき教師たちもいます。彼らはどんな場合にも簡単なイラストを残すのを忘れないのです。

 写真は運動会の朝の小学校1年生の教室にあったものです。朝の心得が書いてあります。

 担任の先生自身が運動会の係ですので、いつものように始業までじっくりと教室に詰めているということができなかったのです。そこで前日の板書ということになったのですが、こんなふうに可愛く書かれるとそれだけでやる気になります。

 これを突き詰めていくと、「黒板アート」とか「チョーク芸術」といった分野に入って行きます。私自身はお会いしたことがないのですが、黒板に大きな作品を何度も残した先生について聞いたことがあります。

 この分野については芸術として確立していて専門の学校もあるくらいですから、多くの人が承知していると思います。私も一度試したことがあるのですが、そもそもの絵心がなければダメみたいでした。昔は美術部に在籍したことがあったのです。しかし何十年も絵を描かないと、始める前から怯えてしまいます。

                           (この稿、次回最終)