「息子・習近平は勝つことしか学ばなかった」~子どもたちに中国を教える日が来る ①

第20回中国共産党大会は、習近平国家主席の続投を決めて閉会した。
周近平の特別な地位を認め、周近平の思想によって国を動かすのだという。
どこかで見た風景、いつか嗅いだことのある匂い。私はそんな中国が恐ろしい。
まもなく子どもたちに中国を教える日が来る。
という話。(写真:フォトAC)

【ものの見方が変わってきた】

 43歳の時に大病をして、あとは余生と思って生きて来たのでもう未練はない、いつ死んでもいい、しかしもし願いがかなうなら、中国と北朝鮮の行く末を見て死にたい――。もうずいぶん昔から言い続けてきたことですが、ここにきて急に気持ちが揺らいでいます。
 ウクライナ戦争以降のロシアがどうなるのか気になってきましたし、中央アジアがどう動くかも分かりません。地域の力の均衡にひびが入り始めたわけですから、中国や北朝鮮の今後にも影響します。そしてそれらのことが日本の今後にも大きく影響しそうで、急にビビってしまったのです。私の子どもや孫たちの生きる未来は、もしかしたら思っていたよりはるかに危ういのかもしれません。

【中国が怖い】

  中国で第20回共産党大会が終わり、習近平国家主席が異例の3期目に入りました。4期目、さらにその先も視野に入れているのではないかと言われています。周氏としばしば対立し、時には袖を引く役だった李克強首相をはじめとする共産党青年団共青団)系の人々は指導部をはずれ、国家の中枢は周近平派一色に染まったとみられています。
 党大会は既に「二つの確立(習近平氏の“党の核心”としての地位と、習氏の思想を指導的思想とする地位の確立)」を確認したとされます。つまり習近平を頂点として、彼の思想でこの先やって行くのだと宣言したわけです。

 それがどうした? と、子どもに話せば返ってくるのかもしれません。確かに、「それがどうした?」に対する私の答えも見つかっていません。しかし私は怖いのです。

毛沢東は9000万人を殺した】

 文化大革命の始まった1966年。私はわずか13歳でしたが、それでも何か尋常でないことが彼の国で起こっていることに恐怖しました。映像も少なく解説も不十分で何が起こっているのかさっぱり分からなかったのですが、中国全土から北京に向けて、紅衛兵と呼ばれる若者たちがアリの大群のごとく集まってきて政府の要人や名士をつるし上げ、「反省しろ」「自己批判城」と叫ぶ姿はまさに異様でした。さすがにその場で処刑するようなことはありませんでしたが、それはさながらフランス革命で断頭台を取り囲んだ際の群衆のように見えたのです。
 後で知ることになるのですが、この運動で殺された人は2000万人にも上ると言われています。
 
 歴史を振り返れば、文化大革命を率いた毛沢東ほど、多くの人間を殺した人物はいないのかもしれません。長征で10万人近い兵士を失い、大躍進政策の失敗で1600万人から7600万人とも言われる国民を死なせてしまった彼は、懲りることなく文化大革命で2000万人もの人々を己の復権のために殺すことができたのです。

【息子は勝つことしか学ばなかった】

 実は、習近平自身がこの時の犠牲者のひとりなのです。
 父親の周仲勲は文化大革命に先立つ4年前まで、周恩来首相の片腕として副総理の地位にありました。しかし讒言によって失脚。16年に渡って投獄される羽目に陥っていました。その周仲勲の子である近平は、文化大革命の中では当然、“反動分子の子”として批判される側に回されることになります。彼の述懐によれば、4回の投獄と十数回の吊るし上げを経験し、餓えて物乞いするまでに追いつめられたといいます。恨みは骨髄にまで達していたはずです。

 後に父親の周仲勲は復権して全国人民代表会議の常任副委員長にまで出世し、良識派として人々の尊敬を集めました。習近平はその人格者の七光りとコネで出世していくのですが、結局は父親と反対の道を歩むことになります。

 父は文化大革命を振り返って、
「問題は今後再び、毛主席のような強人が出現したらどうするのかということだ」
と語ったそうですが、息子は自分の不遇時代から「結局、勝たなくてはだめだ」ということしか学ばなかったのです。
 彼はまさに父が排そうとした人物そのものになろうとしています。

(この稿、続く)