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「水泳の男女共修が問題になっている」~ジェンダーフリーを学校で実現させると①

 ネットとテレビの一部で、水泳の男女共修が問題となっている。
 男女一緒の授業はいやだという生徒が多いのだそうな。
 だったらどうすればいいのだ?
 学校はどこまで子どもの意思に配慮しなくてはならないのだ――
という話。(写真:フォトAC)

【水泳の男女共修が問題になっている(らしい)】

 定年退職で学校を去ったとたんに学校がよく見えなくなり、その代わりに学校勤めをしていたら絶対に分からなかった世界にどっぷり浸かって、そこで大いに見聞を深めることができました。何を学んだのかというと、
「日本のおとなたちは、どこで誰からどのように、『教育』や『子育て』や『社会』を学んでいるのか」
ということです。
 答えは、
「ワイドショウで、テレビに出ることの大好きないわゆる“専門家”から学んでいる」
です。
 その時間、教育の重要な担い手である教員たちは授業をしていますから、教育に関する世論がどちらに流れようとしているのか、ほとんど察知できていません。いま何が話題となっていて、中で特に大きく成長しそうなものは何なのか、やがて法律や教育制度となって現場を脅かしそうなものは何か、そういった情報がまるでないのです。
 
 例えば先週7月6日のフジテレビ「めざまし8」を見ていた人は、現在の学校の喫緊の問題のひとつが「男女共修の水泳授業はいかがなものか」という問題であり、多くの子どもたちが共修に苦しんでいるのだということを学習しました。そのうえで、たくさんの人々が子どもたちの苦しみに心を寄せ、共修にこだわる学校の姿勢に不信感を募らせるようになっています()。――そう信じる人がいるわけです。
「男女一緒の水泳授業」中高生から賛否の声 思春期ならではの悩みも…鈴木大地氏「地域、学校に応じたやり方でしっかり教育していくことが大事」

【「学校の水泳の男女共修はいかがなものか」はいかがなものか】

 番組によると、水泳の授業が好きかどうかを中高生100人に聞いたアンケートでは「好き」と答えた生徒が42%だったのに対し「嫌い」は36%、どちらでもないが22%。また、男女一緒に水泳の授業を行うことに賛成と答えたのは17%、反対は38%、どちらでもないが45%だったそうです。
 そこから、
 水泳の授業そのものに関しては好意的な意見が多いものの、男女一緒に授業を行うことは反対であるという意見が多いという結果になりました。
となるのですが、どんなものでしょう?
 学校教育の学習内容は児童生徒の「好き・嫌い」で決めるものではなく、心身の成長にとって「必要か・不必要か」で決めるものです。受け入れられるか受け入れられないか、別の言い方ですれば「やってもいい」か「嫌だ」で分ければいいのです。すると62%の子どもたちが男女共修で構わないと言っているわけで、
男女一緒に授業を行うことは反対であるという意見が多いという結果になりました
はないでしょう。しかしフジテレビは共修に問題ありといった方向に世論を誘導したいのです。 

 しかも
めざまし8が、都内で水泳の授業を実施している中学校・高校それぞれ10校にアンケートを行った結果、水泳の授業を「男女一緒に実施している」と答えたのは9校、別々に実施していると答えたのは11校でした。
と、いまや半数以上の学校が別修を実施できているのですから、やっていない学校の保護者は慌てます。
 しかしその別修、実際にはどんなやり方をしているのでしょう?
 
 半世紀以上も昔の、私が子どものころなら簡単だったのです。男子がプールで水泳の授業を受けている間、女子は家庭科で裁縫や調理をやっていればよかったのです。女子が水泳の時間は、男子が技術科の授業で板金だの木工だのをしていました。しかしいまはすべて教科で男女共修が原則ですから、分けて行うということが難しいはずです。
 まさかプールがふたつずつあるとか、そもそも男子校・女子校だとか、いやプールを半分に分けて1~4コースが男子、5~8コースが女子といったふうにやっているとか、そういうことじゃないですよね?
 もちらん三分の一強が水泳は嫌いと言い、男女共修には反対というのはけっこうな数ですが、三人に一人が嫌がっているから対応しましょうということになったら、扱わなければならない内容はとんでもなく増えてしまいます。フジテレビはどんな想定でこの問題を乗り切ろうと考えたのでしょうか。

【《三年後にビキニ》は許さない】

 私はそもそも《思春期の子どもたちが水着姿を恥ずかしがるから考えてあげましょう》という配慮自体が気に入りません。この世界は何かを犠牲にしなければ別の何かを手に入れることはできないのです。したがって私たちは常に「より価値の高いものを手に入れるために、より価値の低いものを諦めたり我慢したりしてきた」のです。
 水泳を学び水泳で体を鍛えることには高い価値があります。命を守るためにも、そしてこれに匹敵する全身運動がほかにあまりないという理由からも、ぜひとも学校の学習内容に入れておきたいものです。
「だから水着くらい我慢しろよ」
と私は思います。私独自の見方ではありません。受忍限度といいます。
《高い価値を手に入れるために、水着姿を見られるくらいは我慢すべき範囲と考えよ》
ということです。

 さらに本音を言えば、
《恥ずかしい恥ずかしいというけど、だったら今後いっさい体の線が見えるような水着は着ないのか? 数年たって友だちと湘南海岸だの沖縄だの、はたまたハワイだのグアムだのに出かけたとき、オマエ一人があのジェンダーレス水着で参加するのか? いやそもそも今年の夏、家族で一緒に出掛けるニースやモルディブはやっぱりあれなのか?》
 そういう不信感があるのです。
 一言でいえば、
《学校や教師をあれこれ煩わせておきながら、3年後はビキニというのは許さんぞ》
という気持ちです。
(この稿、続く)