カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「愚痴 聞けば 運命削る ノミ・カンナ」~運のつかみ方と魔よけの方法

 人生は運である。運さえあればすべてが手に入る。
 その運を蹴散らす呪文が愚痴と不満だ。
 もう若くないのだから、ひとの分まで背負うことはないが、
 愚痴も不満も、それぞれが心に収めればいいのに――。
という話。(写真:フォトAC)

【人生に必要なもの=運】

 生きていく上で最も大切なものは何か。才能か、頭の良さか、美貌か、金か、家柄か、努力か――。
 この問いに関する答えは、私の中ではすでに決まっています。“運”です。

 運さえよければ宝くじで一生かかって稼ぐ金額の3倍くらいを簡単に手に入れ、頭のいい人を雇ったり、整形手術をしたり――いやいや運さえよければ放っておいても誰かが助け、美貌がなくてもすばらしい配偶者が向こうからやってくるはずです。運さえよければありとあらゆる災厄からも自由でいられます。逆に、運がなければ何を持っていてもダメです。

 ではどうやって“運”を呼び寄せたらいいのか――。これにも私は強固な私見があります。
 “運”の良いのは“自分は運がいいと思っている人”だけなのです。自分には運がない、何とつまらない人生なんだ、いいことはすべて手の中から逃げてしまう――そんなふうに年がら年じゅう嘆いている人のところに、運などやってくるはずがありません。
 運のよい人はいつもニコニコしていますが、それは運が良いからニコニコしているのではなく、いつもニコニコしているから運がよくなるのです。運が良くていつも他人に気遣いを見せる人も、運がいいから余裕のあるのではなく、そういう性格だから運がよくなるのです。

【運命を呪えば大事なものを失う】

 昨日、母が改まって話があるというので聞くと、茶箪笥の棚が埃だらけだというのです。私に掃除をしろというのではなく、高齢者介護サービスで週に一回お願いしている清掃が、ずいぶんといい加減だというのです。
「ちょっと、どう思う?」と母。
 しかしどう思うと言われても、きたないね、もうちょっと丁寧にやってもらいたいねくらいしか感想もありません。そもそも私にとっては気づきもしなかったことだから、どうでもいと言えばどうでもいい話です。
 母にしてもどうやら私にクレームをつけてもらいたいわけでもなく、自分で交渉する気もなさそうです。それなのに私が素っ気なく、
「不満があるなら自分で言えば?」
と言うと不機嫌です。在宅サービスには不満を言う気はなくても、私の言い方にはひとことあるようなのです。
「愚痴くらい聞いてくれたってバチは当たらないでしょう!」

 私は黙って、これといった返事をしません。なぜなら私は本気で「ひとの愚痴を聞けばバチが当たる」と信じているからです。
 妻もしばしば、愚痴を言った後で私が取り合わないと、
「愚痴なんてただ黙って聞いていればいいじゃない。“ああ、その通りだね”って言っても、それで何かが減るわけじゃないでしょ」
と嘆きますが、「何かが減るわけじゃない」――わけではありません。「ああ、その通りだね」と愚痴に同意すると、運が削られます

【愚痴は聞いても呪いにかかる】

「ため息は 命を削る 鉋(かんな)かな」
 北海道北見市生まれの自己啓発書作家・佐藤富雄さんの言葉だそうです。その言い方を借りれば、
「愚痴聞けば 運命削る ノミ・鉋」
みたいなもので、愚痴を言った人は肩の荷を下ろして安まりますが、聞いた人は無意識のうちにその荷の一部を背負い、自らの運を削り始めます。相手の愚痴に嘘でも同意し「そうだね」といってしまうと呪いにかかるのです。

 ひとの話を聞くのが仕事のカウンセラーだって、真面目に仕事をする人は必ずスーパーバイザーを置いて、クライアントから預けられた肩の荷を軽くするようにしています。ましてや私のような素人の高齢者が、家族のこととはいえ、他人の重荷を背負って良いことがあるはずがありません。若いころとは違うのです。
 
 お互い歳なのですから生々しい心のやり取りは終わりにして、もっとおっとり暮らしてよさそうなものですがどうでしょう。
「吾(われ) 唯(ただ) 足るを知る」
というわけにはいかないのでしょうか? と心の中では思っています。

《参考》

kite-cafe.hatenablog.com