カイト・カフェ

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「私たちは私たちでできる。誰も守ってくれなくていい」~自助組織はもういらない③  

 労働組合・PTA・自治会。任意団体なのに加入を強制される三悪である。
 内容を見ても行政がきちんと対応すればよいことばかりだ。
 しかしオマエの仕事だと投げ出せば行政はやってくれるのだろうか。
 そもそも三悪なきあと、誰がどう行政に働きかけ、行政を動かすのだろう? 
 という話。(写真:フォトAC)

【だから自治会はなくてもいい】

 労働組合とPTAと自治会、この三つが本来は任意なのに加入を強制される三悪だと聞いたことがあります。教員にとって労働組合はほとんど過去のものですから問題にしないとして、PTAは当事者ですし、現在の多忙な状況では自治会の役員でも回ってきたら絶望しかありませんから深刻な問題です。
 朝日新聞が2015年に行った「自治会・町内会は必要?不要?」というアンケートでも、「必要」とする人も少なくないのですが、何しろ三悪ですから「不要」とする意見は強く厳しいものとなります。
「理念以前に強制加入は絶対ダメでしょう、自治活動に参加しなければその地域で生活しにくいように画策したり、変な住民と距離を置き静かに平和に暮らしたいと望んでいる住民に嫌がらせを働くなどもっての他、陰湿な行為と自覚するべきです。自治活動として参加するとしたら災害対策だけ、ライフラインの維持は不公平だの諍いの元になるので行政主導で、他はやりたい人たちでやるサークル活動にするべき。本当に嫌な人間に関わるのは仕事だけで十分、まして見守りなんて。なぜ家にいてまで価値観が正反対の人間との関りを無理強いさせられストレスをため込まなければならないのか」
 かなり感情的になっている前半はそっとしておくとして、後半には見るべきものがあります。それは、

  1. 災害対策など、一部に参加してもよいと考える活動があること。
  2.  自治会の仕事の多くが、不要であり、
  3.  あるいは基本的に行政の行うべきものであり、
  4.  さらにやりたい人たちだけでやるサークル活動にすべきものもあること。
  5.  家に帰ってまで人間関係を強制されることはかなわないという心理的立場。

 では何が「不要」で、何が「行政の行うべきこと」で、何が「やりたい人でやるべきこと」なのかというと、それも簡単にまとめてくれる人がいて、「私見によれば」という注釈付きですが以下のように言っておられます。
(不要:なくした方がいいこと)
・ 祭りや親睦行事 ・募金 ・自治会連合会等への参加
(行政が行うべきこと)
・ 広報の配布、ゴミ捨て、防災、災害発生時対応、福祉活動、地域の見守り、公立の公園の掃除や集会所の管理
(やりたい人だけで独立して役員と会費を負担)
社協や体協との関連、老人会、子供会
 
 しかしこうして分類していただくと、かえって自治会の重要さが理解されてきます。

【行政に投げても行政は拾わない】

 もちろん自治会主催のバレーボール大会だの夏祭りだのは、「互いに仲良くなっておいた方がいい」「顔見知りになっていた方が後々つごうが良い」といった理由で行っているもので、何が何でもやらなくてはならないといったものでもないでしょう。
 老人会や子ども会、つまり前世代を守り次世代を育成することが「やりたい人がやればいい」というのもピンときませんが、喫緊のこととして必要かどうかと言えば、とりあえずなくてもかまわないかもしれません。
 しかし広報の配布、ゴミ捨て、防災、災害発生時対応などを「これは行政の仕事だから」と言って放りだしても行政は拾ってくれないでしょう。もともと人数もいませんし、予算もありません。その分を増税で賄おうとすれば「徹底した歳出削減」とかでさらに人が減らされかねません。人は減らされても増えることはないのです。
 いま自治会のやっていることややろうとしていることをぜんぶ行政が肩代わりするなど、とてもではありませんが考えられないことです。

 例えば大きな災害があった時、あなたの地域の避難所に配属される市役所職員は何名だか知っています? 割り当ては2~3人。しかも避難所開設の配当であって必ずしも運営担当ではありません。市役所には本来業務もあれば市全体に関する災害対応もありますから、地域に人数を割ききれないのです。長引く場合の避難所の運営は、最初から自治会もしくは学校職員を当て込んでいます。

 朝日新聞のアンケートで最初に出てきた人が「自治活動として参加するとしたら災害対策だけ」としたのは、ある意味で実にセンスの良いことです。そこだけやっておけばあとは何とかなると思っているのでしょう。しかし周囲の人にすれば(実際には言わないにしても)「どのツラ下げて来たのだ」と言ったことになりかねません。
自治活動に参加しなければその地域で生活しにくいように画策したり(中略)嫌がらせを働くなどもっての他
とか言っても、「変な住民」あつかいされた人々が優しくしてくれるはずもないのです。

【私たちは私たちでできる。誰も守ってくれなくていい】

 5月の末にSPA!にあった記事「アメリカと日本でこんなに違う子育て事情。自由だけどリスクも隣り合わせの『アメリカの小学校』で驚きの連続」で日米の教育事情を比較した筆者は最後の方でこんなふうに言います。
 日本は小学校にかぎらず、ルールに縛られる分、いろんな意味で守られているという側面もあるのは事実。「日本人は水と安全をタダだと思っている」と言われて半世紀が経つが、まだまだ日本は電車やバス、路上でさえも平気で眠っていられる国だ。
 
 労働組合もPTAも自治会も、本来は立場の弱い者同士を結び付けて互いに守り合い、さまざまな問題に対処していこうというものでした。組織ですからその分どうしても窮屈になりますが、構成員の全員が力を出し合い協力し、それでも足りなければ組織をもって行政その他に働きかけ、居心地の良い環境をつくろうとしてきたのです。
 
 私はPTAや自治会の持つ圧力団体としての機能が失われることを怖れます。私の学校、私の地区が行政に要求することをやめてしまったら、その分はほかの学校や地区に回されてしまうに決まっているからです。しかし世の中のかなりの人たちは、交渉によって獲得できる利益より、会費や労力など節約できる利益の方を選びたがっています。
 
 労組もPTAも自治会もイヤ! 「変な住民と距離を置き静かに平和に暮らしたい」と望んでいる人たちは、いざというときも自分たちだけで対処して行く腹積もりができているのでしょうか? 自分たちの要求や願いを、独力で実現するだけの技量があってのことなのでしょうか?あるいは、三悪を潰したあとはこの人たちが、行政を動かし、よりよい社会をつくろうと動いてくれるのでしょうか? 
(この稿、終了)