カイト・カフェ

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「誕生日が過ぎても使える『誕生日プレゼント引換券』の話」~DCD(発達性協調運動障害)、子どもの姿が見えてくるとき①

 3カ月前、孫のハーヴは誕生日のプレゼントが決められず、
 ほとんどパニックになっていた。
 「誕生日プレゼント引換券」で何とか凌いだが、
 誕生日に何をもらうかなんて、本来、大した問題ではないだろう。
 という話。(写真:フォトAC)

【誕生日が過ぎても使える「誕生日プレゼント引換券」の話】

 8歳になった孫のハーヴから電話があり、
「誕生日のプレゼントが決まったのでお願いします」
とのこと。
「ン? 何に決まったの? 何が欲しいの?」
と訊くと、なにかモジモジした感じで様子がはかばかしくなくなって、スマホの向こうから、
「お母さんが変わってあげようか」という声がして娘のシーナに代わります。欲しいのは8000円もするバッグだそうです。もちろん快諾しました。
 さて、ここまで何の変哲もない話のようですが、実はちょっと面倒くさい経緯があったのです。そもそもハーヴの誕生日は今月でもありませんし、来月でもありません。なんと3カ月も前の6月中旬だったのです。

 誕生には何が欲しいのかという話はその一カ月も前の5月中旬からありました。しかしそのころのハーヴにこれといった“欲しいもの”がなく、頼むものを決めかねていたのです。
 少子化の時代ですから、ひとりの子どもに関わる大人は自然と多くなります。ハーヴにはとりあえず一組の両親と二組の祖父母、そして我が子のようにかわいがってくれる二人の叔父(母親の叔父で私の息子にあたるアキュラと、父方の伯母の配偶者)がいて、その5か所すべてからお祝いが届くことになります。すると必然的に欲しいものがなくなってしまうのです。
 贈り主がジジババの場合は特に高額なプレゼントを見込んでいいと、そのくらいは8歳でも分かります。その絶好の機会を、欲しいものが決まらないばかりにみすみす取り逃がしそうになっているわけです。
 
 日は刻々と迫って5月から6月になり、3週間前が2週間前になるとハーヴはほんとうに焦り始め、私たちが急かして親が本人に訊くと、最初の内は良かったのですが、やがてほとんどパニックになって泣き叫ぶといったところまで追いつめられてしまったようです。
 私たちとしても何が何でもプレゼントしたいわけでもないのですが、頼まれた時点で品物が払底しているとか、依頼品よりもっと良いものが発見されるとか、そういったことがあると困るので、誕生日より少し早めに対応したい――。お互いに締め切りに縛られて困っているわけです。誕生日パーティーは先延ばしにできても、誕生日自体を先延ばしにするわけにはいきません・・・とそこで思いついたのが、プレゼントの執行猶予、「プレゼント引換券」です。
 これで気分がストンと落ち着いたようです。

【この子、変かもしれない】

 「誕生日プレゼント引換券」はその後も長く使われることはありませんでしたが、先日ようやく、執行の日が来ました。おそらくわざわざ品物を選びに行ったのではなく、買おうとしたバッグがあまりにも高価だったので「引換券」を思い出したということなのでしょう。8000円の品物は、特別な日でもないのに8歳の子にすんなりと与えていいものではない、シーナはそんなふうに考える親です。ハーヴにとっても《金額の書かれていない小切手》みたいなすばらしい引換券を、使ってしまうのに惜しくない品物だったということでしょう。これで一件落着です。
 しかし一件は落着したものの別件が生れます。ハーヴのこうした姿は、果たして一般的なものか、よくあることなのかという問題です。
 
 誕生日のプレゼントなんて大した問題ではないじゃないですか。何かを買ってもらって少し遊んだら、すぐにつまらないものだと分かって飽きてしまう、そんなことは子ども時代にはよくあることです。何度も繰り返してきたことです。誕生日という絶好に機会を取り逃がすことに比べたら、頼む品物のなんて何だっていいはずです。
 あまりにも高価だったりあからさまにつまらないものだったりしたらジジババがダメだと止めてくれるかもしれないし、逆に安すぎるものだったとしてもないよりはマシです。弟の4歳のイーツなら何も考えずに決めるだろうし、イーツなら8歳になっても深く考えすに何かを手に入れようとするでしょう。ハーヴはなぜそこまでものや自分の気持ちに対して誠実であろうとするのか、こだわるのか――。
 
 本来はどうでもいい話です。ところがここに来て少し引っかかる、何か変だ、この子ちょっと変わっているかもしれない、そんなふうに思い始めたのです。