カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「ツッコミどころ満載で、安易に使うと面倒な言葉」~同調圧力とKY②

 かつての流行語「KY(空気を読めない・空気を読まない)」は、
 「同調圧力」とどうかかわるのだろう?
 かつて若者の中に、同調圧力を当然とする文化があったというのだろうか。
 KYはどこからやってきたのだろう。
 という話。(写真:フォトAC)

【KYはどこから来たのか】

 昨日、
同調圧力とは自分の外にあるのではなく、社会の一員として認められたりグループのメンバーとして認められたりするために、自分本来の意見や行動を抑えようとする内部の力である」
といったお話をしました。ところがその舌の根も乾かないうち、「あれ? KY(空気、読めない・空気、読まない)ってなんだったっけ?」とかつての流行語を思い出し、首を傾げたところで昨日は終わりました。


 KYという言葉はもともと1990年代に巨大電子掲示板「2ちゃんねる」で使われていた言葉だとWikipediaにあります。それが2007年に再燃し、ユーキャンの新語・流行語大賞にエントリーされて一般にも注目されて広がったのだそうです。
 私にもその時期のものとしての確かな記憶があり、頭文字と言えば英語の略だという思い込みをひっくり返したところに新鮮さを感じていました。その後しばらく「JK(女子高生)」だの、「MK5(マジキレる5秒前)」といったものが耳に入ってきて、その成れの果てが竹下元総理の孫のDAIGOだと思っていました。
 教員の世界では「PPM(パクッて、パクッて、真似をする!)」(「教育:芸術と科学の狭間」~盗める部分は盗むしかない - カイト・カフェ)とか「ABC(当たり前のことを、バカになって、ちゃんとやる)」(「ABC理論」~当たり前のことを、バカになって、ちゃんとやる - カイト・カフェ)なんてのもありました。
 
 ただ「KY」や「JK」は新鮮な若者文化として私たちの前を通り過ぎて行っただけで、立ち止まったり深く考察されたりすることはなかったように思います。私たち大人には「空気が読めない」ことをわざわざ「KY」と言ったり、女子高生を「JK」と呼んだりする必然性がなかったからです。
 ただし今考えれば、「JK」は単なる「女子高生」ではありませんし「KY」には「空気、読めない」だけではない特殊な状況と意味がありましたから、もっとこだわっておけばよかったようにも思います。

【特定の集団の結束を高める暗号・符丁】

 「KY」とか「JK」とかいうのは文節や単語の頭文字を並べただけの単純なものですが、二文字のアルファベットから逆に元の言葉を言い当てるのはほとんど不可能です。仲間同士の共通理解があって初めて通じるという意味では、きわめて基本的な暗号ないしは符丁なのです。
 「KY」を最初に使い始めたといわれる「2ちゃんねる」の利用者たち(2ちゃんねらー)は昔から「アゲ」だの「サゲ」だの、あるいは「ドキュン」だの「コテハン」だのといった内部でしか通用しない言葉を好んで多用し、よそ者を寄せつけない雰囲気がありました。
 
 仲間どうしでしか通用しない言葉を多用するのは、それによって仲間意識を高め、よそ者を排除しようとするためです。そうした「2ちゃんねる」から出た「KY」を便利に使う人が山ほどいて、だから2007年にユーキャンの流行語大賞にノミネートされるほど一般化されたと考えると、それは空恐ろしいことです。
 
 時代は集団に属さない人々、集団の意思を読み取らない人、集団の意思に従わない者を胡散臭く思い、排斥したがる風潮に満ち満ちていたのでしょう。そうした風潮・気分が多数派で共有され、集団として表現されれば、それこそまさに私がはじめに想定した「同調圧力」そのものです。同調圧力は被害者の心の中の問題ではなく、実在するということになります。

【みんなで同じ方向を向くのは悪いことなのか】

 しかしそこまで話を進めても、私はさっぱり理解できないのです。なぜなら単なる群衆ではなく、何らかの目的や理由があって組織された集団には、かならず守るべき規律だとか意識だとか雰囲気だとかがあるはずです。
 
 学校の教室なら、みんなで「さあ、全員でこの課題に取り組んでいこう」とか「クラスマッチで優勝するぞ」とか「被災したトルコ・シリアに援助しよう」とかは集団として一緒にやろうと呼びかけるもの、多数派に合わせるようとするものです。しかしこれらを同調圧力だと言い出したら学校教育はできなくなってしまいます。
 企業なら「より良い製品をつくろう」「会社を大きくしよう」「互いに知恵を出し合おう」等々に文句をつけても始まらないでしょう。
 もちろんそういった掛け声や雰囲気に全くついて行けず、一人で傷つくという人は出てきます。私が昨日お話しした「被害者はいるが加害者はいない」状況です。しかしだからといって、こうした高揚した意識だとか雰囲気とかはいっさい生み出さないようにしましょう、ということにもならないでしょう。

【安易に使うと面倒な言葉】

 ここでようやくひとつの重要な点が見えてきます。
 それは同調圧力を問題にするとき、多数派の共有する価値が正しいものか、ほんとうに必要なものか、有益なものかが、さきに問題になるという点です。“同調圧力に屈するな”という言い方も、多数派の持つ価値が間違っているか、少なくとも無意味でなければ成立しません。
 昨日話題にしたニュース・キャスターが、
「ぜひとも同調圧力でマスクをつけさせるようなことは絶対に止めてほしい」
と言ったのも、卒業式にマスクは必要ないという前提があってのことで、コロナ2019が蔓延して学級閉鎖が二つも三つも出る状況ならそうは言わなかったはずです。

 KY(空気を読めない・空気を読まない)という言葉も、その“空気”が盤石であれば使いようがありません。いや、これは話が逆で、盤石でないから”空気“と表現されているのです。その意味で、結局、同調圧力もKYもあいまいなところで互いを非難し合っているに過ぎない。程度の問題だということができます。
 いずれにしろ、両者ともツッコミどころ満載で、安易に使うと面倒な言葉です。

(この稿、終了)