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「低学年の指導:理念よりも具体的な方策を」~落ち着いた雰囲気で授業を行う工夫⑤ 

 人間は強制や同調圧力によって行動を規定されるべきではない
 そう考える人たちがいる。もちろんその通りだ。
 しかし大人と同じことを年少者に求めることはできないだろう。
 小学校の低学年を育てるためには、理念より優先されるものがある。
という話。

(写真:フォトAC)

 

【自主性尊重や同調圧力排除にこだわる人々】

 私が最近気になったニュースのひとつは、「横断歩道で小学生が車におじぎ、交通教育に反発の声『一時停止は善意じゃない!』」(2022.04.12 弁護士ドットコム)です。

 これは4月8日のテレビ朝日「「ありがとうございます」一時停止の車にお辞儀 新1年生が横断歩道で実践」に対して、一部知識人から「停止するのが当たり前なんだから、重たいランドセルを背負った小さな子供に、こんなことをさせるべきじゃない」と批判があったこと始まった、ネット上の論争を紹介したものです。

 反発を覚える人たち言い分はこうです。

  • 横断歩道に歩行者がいたら止まるのはドライバーの義務なのでこういうのは良くない。
  • 教育すべきはドライバーであって、歩行者に「頭を下げさせる」かのような行為はいかがなものか。
  • 自主的に行うならいいが、強制だとすれば問題。
  • 警察や学校が指導すれば同調圧力につながる。

 前の二つは世の中を“法律と力比べの世界”にしたい人たちの言い分ですからあまり苦にならないのですが、後ろ二つは気になります。というのは子どもの自主性を尊重するというのはそれ自体が擬制だからです。少なくとも学校が子どもの自主性を完全に開放することなどありえません。

【壺中の自主性、同調圧力の助け】

 子どもが自ら判断し自ら実践しようとすることをすべて認めたら、たいへんなことになります。子どもたちは未熟で判断の材料も不十分ですから、必ずしも正しい行いをするとは限らないからです。そのことも考えず、何の仕掛けもないまま、
「自分で判断して、自分で決めなさい」
と投げ出してたいへんな目にあった教師や親はたくさんいます。

 道を渡ったあとのおじぎに話を戻せば、警察官や教師が指導した段階で子どもたちの活動はすでに自主的なものではなくなっています。なぜなら子どもたちには「停まるのはドライバーの義務なので必ずしも挨拶することはない」という別の情報が与えられているわけでもありませんし、「教師の指導だからと言って必ずしも従う必要はない」という教育を受けているわけでもないからです。
 真に自主的であることを求めるなら、ひとつのことがらに対して複数の価値を示し、その中から選ばせるか、何も教えないかしかありません。しかしそんなことはできないでしょう?

 同調圧力についても同じです。
 私はそもそも「他人の目が気になるといった同調圧力がなくても、人間は道徳的でいられる」という考え方に懐疑的です。あの孔子ですら「自分の思う通りに生きても社会道徳を外すことはなくなった」と言えるようになったのは70歳を過ぎてからのことです(我れ七十にして己の欲するところに従えどその矩を踰えず)。ましてや凡人をや、さらに子どもをやです。
 同調圧力はいけないといわれても、子どもが互いに注意し合って高め合うような仕組みをつくっておかないと、教師と児童生徒は常に1対多数で、それこそモグラ叩きのようになってしまいます。

【理念よりも具体的な方策を】

 小学校の低学年においては「自主性の尊重」とか「同調圧力の排除」といったことは脇に置いておくべきです。
 落ち着いた教室で集中した授業を受けることは子どもたちの利益であり、それぞれが同調圧力から自由になって自主的に発言し思いを遂げることよりはるかに価値があることなのです。教師や親はそのためにさまざまな技を繰り出すことにためらってはいけません。

 「人の気持ちを思い遣って、授業は静かに受け、集中しなさい」
そうさとしてもいいし、将来のためには言っておくべきかもしれません。しかし効き目は期待できません。それよりも集中させるための具体的な技術を持つべきです。

 私の先輩のひとりは、一日の初めの日程確認や社会見学の出発の会では、大切な部分で指を一本立て、タクトのように振り下ろすことをしました。子どもたちはそれに合わせて元気よく「はい!」と言わなくてはならないのです。
 姿勢を正すために、床に机だけでなく、椅子の位置も示す印までつけていた人もいました。
「教室の前3列の子は、先生が話すたびに小さく頷きなさい。そうすればうしろの人も自然と熱心に授業を受けるものです」――そう言って実際に励行した先輩もいました。

【子どもは犬を躾けるように育てなくてはいけない】

「人間の子は育て損なっても殺されないが、犬は育て損なって人を噛んだりすれば殺されることもある」
 そのことを最優先に考える人たちの言葉ですから真剣に聞きましょう。
 彼らに言わせると犬を躾けるというのは、こういうことです。

  1. 必要なことができるようになるまで、諦めずに行う。
  2. そのためにも一定期間に育てる能力は項目を最小限に絞り、細かな段階を設定する。
  3. 目標はその子の能力にふさわしく達成可能なものであること。
  4. 具体的に、分かりやすく、丁寧に教える。
  5. 目標が達成できたら、その場で、大げさに愛情を表現し、抱きしめて誉める。
  6. してはならないことをしたときも、その場で、短く、厳しく叱る。
  7. 獲得した能力がなくならないように、繰り返し確認する。

 小さな子ども教育はそうあるべきで、子どもは小さければ小さいほど、苦もなく能力を獲得していくものです。