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「しつけも勉強も学校の仕事だが、子どもは教師を乗り越えてしまっている」~国の政策をどのように変えさせるか、本気で考えてみた④

 子どもの成長に関わる全てのことは、学校がやらなくてはならない、
 ――法律にはそう書いてある。もちろん「保護者と一緒に」だが。
 けれど教育基本法や学校教育法制定から四分の三世紀、
 子どもの実態は、学校の能力をはるかに越えているではないか。
 という話。(写真:フォトAC)

【政治家の声は国民の声】

 政治家はなぜ偉いのか――。
 答えは簡単です。選挙で選ばれた国民の代表者だからです。政治家の公的発言は主権者である国民の声そのものですから、最大限に尊重されなくてはなりません。
 今日まで国民の声は教育に関して、
「もっと学力を上げてほしい」
「6年も学んでも日常会話すらできない英語教育を何とかしてほしい」
「これからはコンピュータ時代、今のうちにプログラミングくらい学習させてほしい」
「道徳的に優れた子どもを育ててほしい」
「食事と栄養・健康に気を配れる子どもにしてほしい」
「基本的生活習慣をつけてほしい」
「悪いことをしたらきちんとしかってほしい」
「日本人として最低の素養はつけてほしい」
「それらをすべて無料でやってほしい」
と、ありとあらゆることを要望し、政治家を通し実現させてきました。しかしそれは不条理なことでも無体なことでもありません。なぜなら法律に、学校はそうすべきと定められているからです

【法律:学校は子どものことをすべて行わなくてはならない】

 子どもの人間形成に関するすべてのことは義務教育が行わなければならないという点については、そもそも教育基本法第五条第二項に書かれています。
「義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする」

 さらに学校教育法第二十一条には、十項目に渡ってこまごまと内容が規定されています(*)。よく「しつけは家庭の仕事」と突っぱねる人がいますが、十項目の一は、
一 学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
となっています。社会性や道徳的態度の育成は、学校が真っ先に取り組まなくてはならないことなのです。

 もちろん教育基本法第十条に、
「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする」
とありますから一義的には「親の仕事」「親の責任」です。でもそれで学校が責任を負わなくてもいいということにはなりません。
 ついでに言えば、高校も学校教育法第五一条に、
「義務教育として行われる普通教育の成果を更に発展拡充させて」
とありますから義務教育の延長上にあると考えてよいでしょう。
 そうなると教科教育も道徳教育も体育も食育も、それどころか部活も生徒指導もしつけも、全部学校の仕事ということになりますが、それでいいのか?

【教師の質は絶対的には上がったが相対的には落ちた】

 私はそれでいいのだと思います。
 子どもの成長に関わる仕事はすべて学校のすべきことで、ただ、人数も少なく時間も予算もなく、子どもも多様化して問題も複雑になり、今までのようには対応できなくなっているだけなのです。
 教育基本法や学校教育法のつくられた昭和22年にはスマホもネットなく、それどころかテレビも持ち運びできるラジオもなかったのです。おそらく世の中はいまよりずっと単純で、子どものあり方・生き方もかなり幅の狭いものでした。だから学校で十分に対応できた――それが今はできなくなっただけのことです。
 
 教師の能力は絶対的にはかなり高まったのに、相対的には低くなってしまった――ちょうどオリンピックのバレーボールで、選手の技量は昔に比べて大いに高まったものの、なかなかメダルに手が届かなくなったのと同じです。こちらも伸びたのに相手(敵チームや児童生徒)はさらに強力になっていたわけです。その意味で質の低下と言われても仕方ないでしょう。
 では今後どうして行ったらいいのか。

【本当は昭和に戻したい――昔を今になすよしもがな】

 私はノスタル爺ですので懐古趣味があります。
 総合的な学習の時間だのキャリア教育だの、あるいは小学校英語だのプログラミング学習だのといった平成以降に積み重ねられた新しいものをすべて廃し、教育は昭和に戻すのが一番だと思っています。教科の年間時数がすべて35の倍数で、時間割が1枚あれば1年間おなじように過ごせたおおらかな時代です。

 あの頃だって十分に忙しく、独身時代は私も10時前に家に帰ることなく、朝は午前6時に出勤していました。それでも生き生きと楽しくやっていられたのは、時間外勤務の大部分が「好きでやっていた仕事」だったからです。
 しかし昨日も申し上げた通り、定評のある昭和の教育――学校行事だとか動物飼育とか、旅行学習だとか、運動会・体育祭・文化祭だとかいった内容を削ることはできても、誰かのレガシーであるキャリア教育や総合的な学習の時間を削ることはできません。
 しかしだからと言って、教員を増やすことも、予算がない上に最近は志望者もいませんからできません。
 残るのは、できなくなったいくつかのことを放擲するというやり方だけです。

(この稿、続く)

*第二十一条 義務教育として行われる普通教育は、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)第五条第二項に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
 一 学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
 二 学校内外における自然体験活動を促進し、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。
 三 我が国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うとともに、進んで外国の文化の理解を通じて、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
 四 家族と家庭の役割、生活に必要な衣、食、住、情報、産業その他の事項について基礎的な理解と技能を養うこと。
 五 読書に親しませ、生活に必要な国語を正しく理解し、使用する基礎的な能力を養うこと。
 六 生活に必要な数量的な関係を正しく理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
 七 生活にかかわる自然現象について、観察及び実験を通じて、科学的に理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
 八 健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養うとともに、運動を通じて体力を養い、心身の調和的発達を図ること。
 九 生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸その他の芸術について基礎的な理解と技能を養うこと。
 十 職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。
 (平一九法九六・追加)