「冒険は終わる。ときめきは聞こえない」~「ちむどんどん」にみるものの見方考え方③

自分の欲望に従うことだけが正しい生き方だ――、
そう信じて走ることのできる時間は短い。
周囲も無条件・無責任に支持することをしなくなる。
もちろんファンタジーの中ではそうでもないが。
という話。(写真:フォトAC)

【おとなは自分に正直にも無垢にも生きられない】

 右手に「自分に正直に!」と刻まれた剣を持ち、左手に「純真無罪」と書かれた盾を持った若者も、社会に出ればあっという間に思い知らされてしまうものです。私がそうでした。
 齢を取った今から考えると世の中はさほど複雑でも強靭でもありませんでしたが、若さに任せてやりたいことを好き勝手にできるほど単純なものでもないのです。
 
 剣を振り回し、盾をあちこちに当てていると、間に入って説教を垂れる人が出て来たり、頭ごなしに潰しにかかったり、あるいは頑強に抵抗する人たちが生れたりするものです。その結果、剣はボロボロになり盾も破れ、敗北と和解の道が開けます。それが普通です。しかし「ちむどんどん」の主人公はそうではありませんでした。彼女の前に立ちはだかる困難は軽く解消され、手に入れたかったものはすべてその手に落ちていくのです。
 周囲の理解と支援が盤石だからです。

【無謀を止めないのは育児放棄と無責任】

「人生には二つの不幸がある。ひとつは願いがかなわないこと、もうひとつは願いがかなってしまうこと」
 そう言ったのは誰でしたでしょう。
 
 実際に世の中には、目標が成就してしまうことが停滞でしかない人もいます。「ちむどんどん」の主人公の暢子もそうした性格で、横浜の店が軌道に乗るとすぐに生活はどんよりしてきます。すると夫の和彦がこう言うのです。
「暢子がどうしたいのか、自分の気持ちにもう一度ちゃんと向かいあってほしい」
 意味は「自分の胸のときめきがどこにあるか見直してほしい」ということです。この夫は妻と同じ価値観を持ち、結婚を躊躇う友人に対しても「ちむどんどんするかしないかだよね」と単純な決断を迫るような人で、暢子の胸のときめきひとつで人生を決めようとする人です。あとのことはどうでもいいのです。配偶者であって子どももいて、離れて暮らす実母もいるというのにも関わらず。
 
   自らのときめきに気づいた暢子はもう止まることができませんし、止めようとする人もいません。夫や母の口から出てくるのは、
「暢子が自分のために決めたことなら、うちは(ぼくは)とことん応援するだけ」
という無条件の支持で、資金はどうするのかとか生活は成り立つのかとか、あるいは同時に二つも三つも困難を抱えて大丈夫なのかとか――考えなくてはならないことは山ほどあるのに、誰も問題にしようとしません。
 登場人物の中の数少ない常識人のひとりである銀座のレストラン・オーナーでさえ、
「全部手に入れないさい。欲しいものにはみんな手を伸ばすのよ」
と、資金提供も具体的助言もまったくする気はないのに平気で言ったりするのです。

 しかしそんな家族関係・人間関係はめったにあるものではありません。止めもしなければ指導もしない親子関係は育児放棄みたいなものですし、友人に対する手放しの応援は無責任にすぎます。

【結局は子どもの物語】

 ただし一般の社会にはそんな人間関係はめったにありませんが、子どもの世界ではありふれた姿でもあります。小学校の高学年から中学生あたりの仲良しグループは皆、そうです。

 私たちは「悪いことをしていたら止めるのが本当の友だちだ」みたいな言い方を平気でしますが、実は子どもどうしで悪いことを止めている姿など、臆病風に吹かれた場合を除いて、私は見たことがありません。悪いことも一緒にできる可能性があっての友だちで、中途半端に止めに入るような子とは仲良くなれないのです。
 その意味で「ちむどんどん」の登場人物たちは幼く、他愛のない人々だと分かってきます。そして幼稚だと思って見ると、彼らの考え方がとてもよく見えてくるのです。
 もしかしたらこのドラマは、小中学生の人間関係を大人社会に当てはめればどうなるのかという、実験的なものだったのかもしれません(もちろん皮肉です)。

【冒険は終わる。ときめきは聞こえない】

「ちむどんどん」の最終回は、始まって4分たったところで突然30数年の時空を飛び越えて現在の物語に移ります。そこでは70歳前後になった暢子たちが、子や孫に囲まれて幸せに暮らしています。
 背景となるのは暢子が山原(やんばる)に開いた二回目レストラン、30数年前と変わらない営業を続けてきたみたいです。しかしそうだとするとその間、暢子の心が「ちむどんどん」したことは二度となく、夫の和彦も他の女性に「ちむどんどん」することもなく落ち着いた半生を過ごしてきたと言うことになります。

 私たちは10代から20代前半にかけてたくさんの挫折を重ね、その中で等身大の自分を受け入れて「胸のときめき」に耳を貸さなくなります。暢子たちの物語はそれより10年ほど遅くまでかかった、子どもの物語にすぎないということなのかもしれません。