カイト・カフェ

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「この年寄りは危険だ」~高齢者:俺たちに明日はない⑤

明治、大正、昭和と平成、令和――、
それぞれの時代で年寄りのあり方や性格は異なる。
かつての年寄りは静かだった、うるさくても放っておけた。
しかし令和の年寄りは、放っておくにはあまりにも危険だ。
という話。(写真:フォトAC)

【令和の年寄りは昭和の年寄りとは違う】

 今年95歳の母は腰も曲がり足も弱くなって自ら買い物に出るということはなくなっています。ただ、それでは運動不足になるということで、週に1回、私の弟が買い物のために母を連れ出し、スーパーマーケットの中を歩かせて漬物だの煮豆だのを購入してくるだけです。
 
 お金の管理は私がしています。ある程度の現金が手元にないと怒るので、決まった額を文箪笥の中に入れておき、足りなくなると補充する、そういう仕組みです。弟が買い物に出るときも私が母を医者に連れて行くときも、必要な金はそこから出します。大した金額ではないので私たちの財布から出してもいいのですが、母のプライドが許しません。もっとも年金の額だけで言えば、母の方が私よりずっと金持ちなのですが――。
 
 その母のもとへときどき変な荷物が届くことがあります。少し大きめの段ボール箱に入った駄菓子のあれこれだとか、静岡の茶畑からの高級茶のセットとかです。初めのころは弟が母に頼まれて注文してくれているのかと思っていたのですが、どうやらそうではなく、テレビの宣伝を見たり新聞の広告を見たりして自分で電話注文していたらしいのです。
 さらにまた、私が忙しさをかこつけて庭の草取りを先延ばしにしていると、さっさとシルバー人材センターに電話して作業を手配してしまったりします。あとは送られてきた請求書と振込用紙を私の前に投げ出し、「払っておいてね」。
 これが令和の老婆の実力です。
 通信販売や電話注文にまったく抵抗なく、いくらでも対応できる。明治生まれで昭和に生きた老婆だったら思いもつかないことでしょう。

  認知の問題も増えたとはいえ、幸い今のところ母は電話で「うな重」5人前を注文するといった乱暴なことはありません。しかし先は分からないので危ういことがないよう、注意深く見ていたいと思います。

【新世代人としての私たち】

 オレオレ詐欺をはじめとする特殊詐欺が後を絶たず、新聞には毎日のように被害の話が載っています。これほど報道され注意喚起がなされているのに、なぜ人は易々とキャッシュカードと暗号番号を渡し、あるいはATMの前に立ってしまうのか、なぜ他山の石が石として働かないのか、とそんなことを考えているうちに突然、現在あるような特殊詐欺は10年後、あるいは少なくとも20年後には激減しているだろうということに気づきました。そんなやり方よりも犯罪者にとってもっと効率がよく、安全な詐欺が横行するようになっているのではないかということです。高齢者の質が違いますから。

 私たちを含む現在の60歳代以下の世代は80歳~90歳とは違います。子どものころにこそコンピュータもインターネットもありませんでしたが、壮年期から現在に至るまで、仕事の中に深くICTが入り込み、コンピュータとともに生きてきた最初の世代――ネット検索によってものを調べ、ネットニュースで世界を知り、掲示板やチャット、コメント欄で論争し、SNSにかろうじて間に合った世代なのです。日常的にネットショッピングをし、銀行口座もネットで操作する。
 さらに言えば普段の生活もLINEで連絡を取り合いZoomで会議をし、スマホで決済する、そういうことに慣れた最初の世代。その私たちが高齢者となり、間もなくボケようとしているのです。怖くありませんか?

【この年寄りは危険だ】

 私たちがさらに年老いて詐欺にあうとき、もうATMの前に立ってオタオタしたりはしません。いまでも銀行に行かなくなっているのですから10年後は自宅の椅子に座って、コンピュータあるいはスマホから一瞬にして数百万円を振り込んでいるのです。金額に上限のあるATMとは規模も違いますし、横にいて怪しんで止めてくれる善意の客も銀行員もいません。

 そこまでどうやって誘導するかはプロの詐欺師に考えてもらいましょう。現在でもネットに長けた若者がホイホイ引っかかるのですから、ボケかけた老人を騙すなんて赤子の手をひねるようなものでしょう。おそらく特殊詐欺の主軸はそちらに移っていきます。
 
 詐欺でなくても、ネットを通じて中古車やら別荘やら、買わなくていいものを気軽に買ってしまう老人も出てくるかもしれません。無謀な投資で財産をスッカラカンにしてしまう人も出てくるでしょう。ネットでなければ必ず間に入る、仲介業者や証券会社の社員というものもいませんから歯止めが効きません。
 それが近未来の高齢者の姿です。
 
 家族としてはコンピュータやスマホを取り上げるかネットを遮断するかしかありませんが、このさき高齢者とはいえ、インターネットなしで生活が送れるとは到底思えません。
 さてどうするのか――今から私たち自身と家族と社会で、一緒に考えておくべき問題です。