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「『ありがとう』を強制すると心ない子が育つ?」~トンデモ学説の話②

「ありがとう」や「ごめんなさい」を強要すると、心ない子どもが育つ、
放っておいても感謝の気持ちが高まれば「ありがとう」言う子になる――と、
ネット上にはトンデモ学説がいくらでも飛び交う。
しかし「ありがとう」も「ごめんなさい」も文化なのだ。
文化である以上、教えられ、練習する必要がある。
という話。(写真:フォトAC)

【「ありがとう」を強制すると心ない子が育つ?】 

 夏休みに入ったばかりのころ、Yahooニュースに「ありがとうを強制すると表面を取り繕うだけの子が育ってしまう」といった内容の記事が出て、それがそこそこしっかりしたネットメディアからの引用でしたのでかなりカチンと来ました。休み明けにはまずこのことを記事にしてやろうと身構えていたのですが、いざ読み直そうとしたらブックマークをし忘れていたみたいでなかなか見つかりませんでした。
 それでも頑張ってようやく探し出したのは、ABEMA TIMESの『「ありがとう」や「ごめんなさい」の要求は心ない子どもを育てる? 子どものしつけに専門家「まず親が率先して見本に」』(2022.07.29)でした。何か雰囲気が違います。

times.abema.tv

 しかも『「ありがとう」や「ごめんなさい」の要求は心ない子どもを育てる』はABEMAの意見ではなく、ツイッターから拾ってきた誰のものかもわからない(ほんとうにツイートされていたのかどうかもわからない)、素人の発言でした。怒っただけ損をしました。

 しかしABEMAが結論とした“専門家”の答えもあまりいいものではなく、私は感心しません。
 「頭ごなしに子どもの言葉を言い変えさせるのではなくて、子どもは親の真似をしますので、まず親が率先して見せる。『ありがとうと言ったり言われたら、どっちも嬉しいよね』と声をかけてあげたら、じゃあ子どももありがとうと言ってみようかなという気持ちになる」
 確かにそんなこともありそうですが、子どもはそんなに簡単に変容しません。「分かっちゃいるけどやめられない」が人間の本性です。そうした指導の必要な2歳児~3歳児が「ありがとう」というべき場面だと判断できなかったり言い忘れたりといったことはしょっちゅうで、そのたびに、
「ありがとうと言ったり言われたら、どっちも嬉しいよね」
というわけにはいかないのです。あまりにもたびたびだとついには親の方がキレて、
「何べん言ったらわかるの! ありがとうと言ったり言われたら、どっちも嬉しいよね!」
といったことになりかねません。

【自然に任せるわけにはいかない】

 ものをもらったり親切にしてもらったとき、親が子に「ありがとうって言おうね」とか「ありがとうは?」と促して言葉にさせるのは、どういった場面でどんなふうにこの言葉を使うのか、繰り返し基準を示して声に出す練習させるためです。
 ネット上には「教えなくて本当に感謝の気持ちが高まれば、(子どもは)『ありがとう』というものです」などと書いてあったりしますが、社会生活の中で心が浮き立つほどに嬉しく思わず「ありがとう!」と叫びたくなる瞬間など、そうたびたびあるわけでありません。大した感動はなくても何かをしてもらったら「ありがとう」というのが常識で、その常識を無視して円滑な社会生活は送れないのです。そこで親は子に「ありがとう」の練習をさせるわけですが、それを要求だの強制だのといったら躾はまったくできないでしょう。
 
 「ありがとう」も「ごめんなさい」もいつかは反射的に言えるようにならなくてはなりません。それがこの国の文化です。
 よその国にはものをもらっても決して「ありがとう」と言わないところもあると言います。喜捨がその国の宗教的核心であり、もらってあげることで相手が天国へ一歩近づけるからだそうです。だとしたらもちろん、「ありがとう」を言う訓練など必要なくなります。
 
 また大陸のある国(北の方)では、自分が停まっている車にぶつけても、最初に発する言葉は「バカヤロー」だと教えられるそうです。反射的に「ごめんなさい」と言ってしまう日本とは大違いです。
 けれど「ごめんなさい」言ったからといって日本人が最初から全責任を負う気でいるとか、かの国では喧嘩になるというわけではなく、そのあと結局妥協点を探して話を詰めていくことには変わりありません。入り口が違うだけでその後の過程は同じなのです。それが文化というものです。
 文化である以上、教えられ、練習しなくてはならないのです。自然に任せるわけにはいかないのです。

【できないことは叱ってはいけない】

 ただしネット上の「強制するな」に賛同できる場合もあります。それは「ありがとう」を言う場面でもモジモジして口に出せない場合です。引っ込み思案な子は特にそうなりがちです。
 そんな場合ですら何が何でも口に出して言えとは、いくら私でも言いはしません。
「おやおや、恥ずかしくて言えないんだね。じゃあ次からは言えるようにしよう」
と言葉を添えて、その場をやり過ごすしかありません。
 できないことは叱ってはいけない、やらないことは叱らなくてはいけない。
 それが子育ての鉄則です。

 もっとも「ごめんなさい」と言わなくてはなら愛場面でも黙っているとしたら、それは別に考えなくてはなりません。細かく具体的なこととなると、なかなか難しいものです。

(この稿、続く)