カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「新型コロナ:発症していない感染者が他者にうつす可能性は0」~トンデモ学説の話③

「新型コロナでも、発症していない感染者は他に感染させることはない」
そんな話がたびたび蒸し返され、有力科学雑誌の論文が提示される。
しかし権威は必ずしも正しさを保証しない。
「ネイチャー」に掲載されても、「STAP細胞」はなかったのだから。
という話。(写真:フォトAC)

【科学は決して透明な世界ではない】 

 私は若いころ、というよりかなりの齢になるまで、科学は万能で透明な世界だと信じていました。
 透明というのは「反比例の漸近線はどこまでいってもX軸にもY軸にも接しない」とか「円周率は無理数でその小数部分はどこまで行っても循環しない無限小数」だとかいったことです。つまりきちんとした手順を踏めば、だれでも同じ結論に達するものだと信じていたのです。
 ところが1980年代に流行した予言本に書かれていたガンの特効薬は約束の2001年になっても開発されず、伝染病の撲滅はエイズの出現によって(最近は次々と変異するコロナ・ウイルスによって)否定されてしまいました。

 最近もっとも首を傾げたのは、10年前の福島第一原発から漏れた放射能に関する評価です。
 論争になったのは放射能を連続的に1ミリシーベルトでも浴び続けると体に害があるのか、一定量閾値といいます)を越えると初めて健康被害が発生するのか、という問題です。素人目には簡単に分かりそうなものなのに、専門家の意見はまったく一致しません。
 中には「ラジウム温泉ラドン温泉のことを考えれば、20年後の飯館村は健康長寿村だ」などと激しくぶち上げる人まで出てきて、結局「健康に関する疑わしきは罰す」の原則に従って全村避難が10年以上に渡って続けられてきました。
 実際のところ、低量被ばくの問題はどうなったのでしょう?

【発症していない感染者が他者に感染させる可能性は0?】

 この夏、思わず首を傾げてそのあと天を仰いだのは、ツイッター上に一瞬載ってすぐに撤回された「発症していない感染者が他者に感染を起こす可能性は0%」という記事です。論拠は2020年11月にイギリスの科学雑誌(Webのみ)「ネイチャー・サイエンス」に掲載された『中国武漢の約1,000万人の住民における封鎖後のSARS-CoV-2核酸スクリーニング』という論文です。

 私はまず、これが2年も前に書かれた論文であることに違和感を持ちました。その時期もその後も、新型コロナに関しては何千何万という論文が書かれたはずなのに、同じ趣旨でさらに補強した新しい論文はなかったのか、なぜこんな古い論文を持ち出してくるのか、ということです。

 さらに「発症していない感染者が他者に感染を起こす可能性は0%」が真実なら、大規模なロックダウンや行動制限で世界中を苦しめ、膨大な損失を出し続けた古今東西の為政者たちはバカだったのか、その指示に従った私たちはさらにアホで、論文に賛同したごく一部の人たちだけが賢かったのか、ということも疑問です。
 
 そんなことはないでしょう。確かに大昔、世界中が天動説で動いている中でひとり地動説を唱えたコペルニクスだけが正しかったということはありました。しかし当時と違って今は取り交わされる情報の量も速さも格段です。ありとあらゆる研究はすぐに検証されます。そうした大量の検証に支えられた論文だけが生き残り、科学の発展や社会に寄与するのです。
 コロナ禍も2年半を越えさまざまなことが分かってきましたが、コロナ・ウイルスはやはり無症状のひとからも感染します。それでもなお「発症していない感染者が他者に感染を起こす可能性は0%」が持ち出されるとしたら、そこには別の意図があるのです。

【論文の中身を見てみる】

 こうしたトンデモ話はやはり検証されなくてはなりません。「ネイチャー・サイエンス」に掲載された『中国武漢の約1,000万人の住民における封鎖後のSARS-CoV-2核酸スクリーニング』を読み解くということです。

 私は英語がダメなので、「In deep」というサイトの記事をお借りすると、
科学雑誌ネイチャー・コミュニケーションズに 11月に公開された論文は、主に武漢にある華中科技大学と中国全土の科学機関の専門家たち、そしてイギリスやオーストラリアからの専門家たちを含む 19人の科学者によって編集された。
(中略)
(中国武漢における)調査対象の約 1,000万人のうち、「300人の無症候性症例」が見つかったと研究は述べている。その後、コンタクト・トレーシング(濃厚接触者の追跡)が行われ、その結果、合計 1,174人の濃厚接触者のすべてが COVID-19に陰性で、陽性症例は 1人もいなかった。
その後、無症候性の患者と濃厚接触者の両方が 2週間隔離されたが、その 2週間後も結果は同じままだった。
ということになります。注目すべきは『「300人の無症候性症例」が見つかった』です。

 武漢では2020年4月9日時点で合計50,008症例が発生しており、死者も2,575人出ています。それなのに無症候(無症状に同じ)は300というのはあまりにも少なすぎます。
 現在、オミクロン株による感染のうち無症状の割合は20%前後、武漢ウイルスではダイヤモンド・プリンセスで55%もいました。ですから2020年初頭の武漢でも10,000人を越える無症状感染者がいてもいいはずなのに、たった300です。
 
 あの頃のニュース映像を思い出すと武漢は地獄の様相で、病院の廊下からロビーまで患者が溢れ、医療従事者は目を血走らせて戦いに明け暮れていました。そんな状況で全市民を対象にしたPCR検査など行われるはずもなく、無症状の感染者など数えている暇もなかったはずです。
 データが嘘だと言うのではなく、もしかしたら基礎となる考え方じたいが違うのかもしれません。

【権威は正しさを保証しない】

   いずれにしろ「無症状の感染者が他者に移すことはない」という説は今日までに否定されています。実感としても、日本でこれだけ注意していても感染拡大が止まらないのは、感染者の中にそれと知らずに広めているからとしか考えようがありません。
 それなのにトンデモ説が消えないのは、その方が有利な人がいることと、「ネイチャー・サイエンス」に掲載という権威が邪魔をしているからでしょう。

 しかし科学論文なんて主題が画期的で価値があり、論文自体に破綻がなくてそれなりの人が共同執筆者だったり推薦者だったりすれば、簡単に雑誌に掲載されてしまうのです。
 「ネイチャー・サイエンス」は本家「ネイチャー」と違って圧倒的に迅速なところが特徴です。それだけに未熟な研究も未熟な論文も出て行ってしまう可能性があります。本家「ネイチャー」ですら、2014年に小保方晴子さんの「STAP細胞」に関する論文を掲載して世界に衝撃を与えています。
 雑誌掲載は研究の正しさを証明するものでではなく、まな板の上に論文を載せるだけのものなのです。