「教員採用試験、ついに1・0倍を切る」~人々は学校を見捨て始めた① 

 教員採用試験、倍率が軒並み2倍を切り、
 大分県ではついに1倍も切った。
 しかしみんな騒ぐだけで、
 だれも本気で手を打とうとはしないのだ。

という話。

(写真:フォトAC)

【教員採用試験、ついに1・0倍を切る】 

 2023年度教員採用試験、1次は早いところで6月19日、遅いところで7月24日ですから今が真っ盛りということでしょう。受検者の皆さま、がんばりましょう。

 既に話題となりましたが、応募段階での競争率が2・0を切った自治体が、小学校の場合、北海道・青森県宮城県秋田県山形県福島県・埼玉県・新潟県山梨県鳥取県山口県・福岡県・福岡市・佐賀県長崎県熊本県熊本市大分県・宮崎県・鹿児島県の1道17県2市にもなりました。もっとも受験者数非公表の県や小中高特別支援等を総数でしか出さない県もありますから、これがすべてではありません。昨年の段階で危機的だった県も公表を拒んでいますから、もう少し多くなりそうです(倍率は時事出版局調べによる)。

 さらに倍率が1・5倍もないのは秋田県(1・3)と山形県(1・4)、九州は総じてたいへんで、福岡県の1・3倍、佐賀1・4倍、長崎1・3倍、熊本県も1・3倍、大分県に至ってはついに1・0倍です(正確には208/200で1・04倍)。
 実際には試験場に来ない受験生もいるわけで、1・0倍の大分県は応募者208名(1次免除者20名を含む)のうち10名が試験を欠席したため、新規採用の候補者は現時点で198名、採用予定が200名ですから全員を合格させても2名足りない計算になります。
 もちろん全員合格ということはありえませんから、170名くらいを合格させて30名あまりの欠員募集ということにするでしょう。さて、30人もの不足を講師で補うことができるのでしょうか? 不合格にした28人が全員講師に応じてくれたとしても、まだ2人足りないのです。

 事情は知りませんがシリコン・アイランドと呼ばれるくらいの土地柄です。優良企業はいくらでもあって、志ある人は教師になんかならないのでしょう。
 ちなみに私の息子は、今は東京勤務ですが、一昨年まで九州で勤めていました。そのころもしっかりした勤務体制でしたが、今は週の三日がリモートワーク、残り二日が出勤日。しかもフレックスですので10時出社でいいのだそうです。
 給与は、まだ4年目ですので大したことはないと思いますが、会社の平均年収(40歳)が私の退職時(60歳)の年収とほぼ同じですから、その意味でも「教師なんかやってられねえよな」なのでしょう。


【採用試験が1倍を切っても、誰も手を打とうとしない】

 大分県1・0倍と聞いても、私に何の感慨も浮かびません。すでに絶望の時期は過ぎています。
 これから志願者を増やそうにも、まさか教員給与を二倍にするわけにもいかず、労働環境の悪評は津々浦々に広まって取り返しがつきません。
 労働時間を減らそうにも、人数を増やすという方向では35人学級のための増員が終わるまで、財務省は一人の加配教員も認めませんし、仕事を減らすという方向では、総合的な学習の時間やキャリア教育のような追加教育は、大枠を示した国会議員が死に絶えてもなくなることはありません。レガシーですから先人の顔に泥を塗るようなことはできないのです。
 現に「10年に1度の免許更新」をなくすために、「毎年の研修計画と研修報告」というさらに大きな負担を教員に負わせざるをえなかったのです。
「教員の働き方改革」は掛け声ばかりで、今後も進むことはないでしょう。

 かつては「生きがいの搾取」とまで言われ「生きがい」だけはあるように言われましたが、現場の教師は疲れ果てています。無条件に「いい仕事だから、おいで」とは誰も言わないでしょう。実際、私が自分の子どもを教師にしたくないと思ったのは、もう20年も前のことでした。


【教師にロクな奴はいないと言われて】

 昔、私の仕えた校長のひとりがこんな話をしたことがあります。
「私のオヤジも教員でね。そのころの教師は本当に貧しかったけど、ひとつだけいいことがあると言っていた。それは教師がみんなから尊敬してもらえることだってね。だから私も教員になって、それでよかったと思っている」
 しかし今はどうでしょう?

 保護者の中には小学校1年生の入学式の日から、我が子を教師からどう守るか、そのことばかりを算段している人もいるのです。体罰やわいせつ事件、いじめ放置に終始し、隠ぺい体質の強い世界ですから油断できません。
 SNSの住人によれば、「学校を出てそのまま学校に入ったような人間に、ロクな奴はいない」のだそうです。実際に学校の内部に入ったり付き合いを深めれば、そんなことはないと分かるのですが、警戒心は容易に解かれません。

 教職はもはや尊敬できる仕事ではなくなり、最後の支えも折られてしまいました。

(この稿、続く)