カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「団塊の世代が、いま続々と定年退職を迎えている!?」~私の常識は世界の非常識①

 わたしの常識と世間の常識がずれることがある。
 たいていは私が間違っているが、正しいときだってある(はずだ)。
 大手マスコミ・出版社が否定しても、世界中が反対しても、
 それでも地球は回っている――。
という話。(写真:フォトAC)

【今、学校から団塊の世代が大量退職している?】

 齢が齢ですから世間に対して静かにしているつもりはありませんし、そもそもが謙虚といった性格ではありません。しかしだからといって傲慢という訳でもなく、世の中で私一人が正しくて世界の方が間違っていると思ったことなど、ただの一度もありません。
 ただ、ときどき明々白々なことがなぜ常識にならないのか、間違ったことが広く流布されたまま直されないのはなぜかと、首を傾げることもないわけではありません。
 例えば今日の教員不足に関して、しばしば、
「ここ数年の団塊の世代の大量退職にともなって・・・」
とまるで先生たちの責任のように説明される、そのことが解せないのです。しかもかなり大手のメディアでもそうした分析が散見します。(最近の例では*1

 「団塊の世代」といわれるのは第二次世界大戦から男たちが帰還した直後の、昭和22(1947)~24(1949)年に生まれた人たちで、総数約806万人、現在も日本の総人口約5を占める大規模集団です。
 彼らは現在76歳~78歳。教員を始めとする公務員の場合は再任用のなかい60歳定年の人たちで、すでに15年以上前に現場を去ったはずです。それを「ここ数年の団塊の世代の大量退職にともなって・・・」とは、マスコミは何年たったら再分析・再検討するのでしょう?
 
 確かにここ数年の教員不足の要因のひとつは教員の大量退職に伴う採用予定者数の増加です。しかしそれは大量退職の原因は今から40年ほど以前、つまり1983年前後に第二次ベビーブーマー団塊の世代の子たち)が就学期を迎え、小学校から中学校へと進学し始めた時期に大量採用された教員たちが、定年を迎えたからです。彼らは団塊世代だから大量採用されたのではなく、団塊よりも10歳以上若いのに団塊ジュニアに合わせて採用されたのです。
 ほんとうは言いたくないのですが、1983年は私が30歳で教員になった年で、大量採用で競争率が低かったから採用されたと言われても仕方ないクチです。ちなみに(というか、言うまでもなく)、私の同期は皆かなり年下で、団塊の世代はすぐ上ですので、現在の退職者たちが団塊でないことはよく分かるのです。

【教員定数の原理を考えてみよう】

 「教員の大量退職があったという点では同じなのだから、大した問題ではないだろう」
 そう思われる方もいるかもしれません。しかし私にとっては大問題です。なぜなら団塊の世代が卒業して来るから採用を増やそうとか、バブルでみんな民間に行ってしまい人材が不足するから採用を絞ろうとか、はたまた超氷河期で若者があぶれるから失業対策に採用を増やそうとか、社会状況に合わせて採用数を変化させることができるなら今日の教員不足は起こらないからです。

 競争倍率が2倍を切って、誰でも教員になれる時代が来るのはマズイ。人材を確保する必要からせめて倍率は5倍以上が望ましいというなら、教員が何人退職しようが学級数がどれほど増えようが、受験者の五分の一だけを合格させて、あとは切り捨てればいいのです。競争率5倍は確実に保てます。超氷河期のように受験者が鈴なりで来てくれるなら、優秀な教師は五分の一でもたいへんな数ですから学校を潤してくれるはずです。

 でも、そんなふうにはならないでしょ? 教員の定数なんて、景気がよかろうが悪かろうが、受験者数が増えようが減ようが、はたまたゼロになったとしても、児童生徒数(正確に言えばそれに連動する学級数)によって、自動的に決まってしまうのです。
(参考:文部科学省「教職員定数の算定について」
 しかしそれにも関わらず、世間的には《団塊の世代は人数が多い、だから教員もこの世代が多いはずだ。ここ10年あまり定年退職で学校を去る教員が多かった。つまり団塊の世代が大量退職したのだ》といった奇妙な三段論法が、ずっと続いているのです。けれど私はそう思わない。
《それでも地球は回っている》

(この稿、続く)
(参考)