カイト・カフェ

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「正しい人々に神の恩恵は降り、卑しい人間に天罰は下る」~早朝の交差点で出会った人々と車

 まだ真っ暗な早朝の道を走っていると、様々な人や車と出会う。
 一台の車も来ない交差点で律義に赤信号を守る人、
 隙あらば何とか赤信号をやり過ごそうと考える人。
 しかし神様はそれぞれ適切な恩恵と罰を下すに違いない。

という話。f:id:kite-cafe:20211206072035j:plain
(写真:フォトAC)

【赤信号を守る律義な人々】

 母に独り暮らしをさせている関係で、夜は実家、日中は自宅で暮らす生活をもう9年も続けています。いっそのこと母を呼び寄せて一緒に暮らすということも考えたのですが、互いに気楽な生活を何十年も続けてきましたので、いまさら24時間一緒に生活する方が危険なようで、二の足を踏んでいます。

 夜は9時までに母のところに行き、朝は5時半に実家を出ます。ですから日の短い今は、暗い中を出かけ、暗い中を帰ってくることになるのです。しかし人間の営みは1年中あまり変ることがありませんから、すれ違う人や車は多くの場合、一緒です。

 例えば早朝のジョギングの人たち。夏は太陽の下を走っていた人が、今は真っ暗な中を走っています。いつも感心するのはそうした人たちが、まったく車の通らない交差点の赤信号をきちんと守っていることです。自家用車の私が守るのは当然ですが、ヘッドライトに浮かび上がった老ランナーが信号機の下で軽く足踏みをしている様子を見ると、かなり寒いだろうに立派なものだとホトホト感心します。

 工業団地の近くの別の交差点では、夜勤帰りの自転車の若者が数人、律義に赤信号を守っています。年じゅうすれ違っている子たちなので、彼らが外国人であることを私は知っています。本国に帰っても車のまったく来ない交差点の赤信号を、この人たちは今と同じように真面目に守ってくれるのでしょうか? 
 たぶん、かなりの期間することと思います。そしてそんな人が多くなれば、やがて文化として定着するかもしれません。

【品がなく、醜く卑しく、美しくない運転者たち】

 先日、それよりは車通りの多い交差点で、思いがけない事態に遭遇しました。
 ちょうど信号が黄色から赤に変わり、右折の青い矢印が出たときです。私のかなりうしろから走ってきた自家用車が猛然と右折車線に入り、“こりゃとんでもない猛スピードで右折していくぞ”と思ったらそうではなく、私の車を追い越すようにして赤信号の交差点を突っ切って行ったのです。対向車線には一台の車もいませんでしたから衝突の心配はないのですが、平然と信号を無視する姿にはびっくりしました。
 私が若かったころはそんな車はいくらでもいました。一般道でも隙あらば追い越しをかける時代でしたからさほど驚かなかったのですが、今はずいぶんマナーも良くなり、そうした車に会うこともまれになりました。

 世の中、めったに起きないことが二度続けて起こることはよくあります。それから一週間もしないうちに、私はさらにあくどい車に遭遇したのです。それは朝の帰り道でもっとも車通りの多い交差点での出来事です。

 私は赤信号で止まった車の三台目にいました。前の車との車間距離を十二分に取ったのは、左側がちょうどコンビニの出入り口にあたり、私の車が通行の邪魔になるのを嫌ったからです。わざわざつくったその隙間に、背後から来た自家用車が右折車線をつかって回り込むように入り込み、そのままコンビニの駐車場に入って行きます。私の車は完全に停まっていましたから、コンビニで買い物をする人が焦れて回り込んだのだろうと思い、そのまま見送りました。ところがその車はコンビニの駐車場を突っ切ると、角地のもう一方の出口に向かいます。何のことはない、赤信号を嫌って他人の敷地を利用し、そのまま左折方向へ行こうという腹です。
 “なんと品のないドライバーだ”と思っていたら出したウインカーは左ではなく右。一旦停止してから道路を右折しながら渡ると、目の前の交差点を左折して――つまり私の位置からは直進方向に向かって走り去ったのです(下図)。

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 運転者にしてみれば「信号無視はしなかった」ということでしょう。駐車場出口では一旦停止して左右を確認しましたから危険行為もなかった――。

 ここで「最初の『右折車線から左折してコンビニ』には問題があるだろう」とか「買い物をする気もないのにコンビニ駐車場に入るのは不法侵入じゃないか?」とか言うのは些末で野暮なことです。問題は「車一台来ない夜の赤信号を律義に守る老人ランナーや職場帰りの若い外国人に対して、オマエの行動はあまりにも品がない、卑しい、美しくない」ということです。あまりにも醜い、そしてその醜さが理解できない――。

【天罰は必ず下る】

 どうした教育の違いからそういう人たちは生まれてくるのか、私は首を傾げます。どうにも理解できないのです。少なくとも私は、教育者としてそんな人間を育てた記憶はありません。

「いつか事故に遭えばいいんだ――」と、そこまで考えるような悪い人間では、私はありません。それに事故だと他人も巻き込まれます。そこで「こんなことをしているといつか捕まるぞ」とフロントガラス越しに呪いをかけるだけにしておきます。

 けれど警察に捕まらなくても、天罰は必ず下るはずです。
 その自動車にいつか同乗する人、あるいは一緒に走る人のうち、まともで心ある人はきっと眉をしかめるはずだからです。同じことが何度も繰り返されれば、まともな人たちは次第に遠ざかって行きます。
 逆に、その人の運転を「カッコウいい」だとか「賢い選択」だとか考えるような人は、いつまでもそばにいてくれます。やがて気がつけば、品のない卑しい人間だけが周囲に固まってはやし立て、煽ります。もう当たり前の生活には戻れません。
 少なくとも、それがその人の受ける天罰のひとつです。