「人生で必要なことは、すべて学校で学べる」~魔の11月をどうしのぐか④ 

 東日本大震災は不幸な出来事だったが、
 その合間、合間に、日本人の本質的な姿が見えた。
 しかしそれは自然に備わったものではない。
 すべて学校を基礎として育ててきたものだ。

という話。  

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(写真:フォトAC)


 先週の金曜日から、勉強をすることの意味について、子どもたちに話す体で書いています。
 

【日本人が最も誉められた日】

 東日本大震災から今年でちょうど10年になった。私にとってはまるで昨日のことのように鮮やか記憶だが、キミたちはまだ赤ちゃんだったり生まれてもいなかったりで、思い出せと言われても無理な話だよね。
 でも、あの災害は日本にとってさまざまな意味で大転換点となった出来事でした。不幸な災害だったけど、あの時ほど日本人が誉められたことはそれまでなかったからだ。

 あれほどの大地震の際中にも怯えてパニックになった人は少なかったとか、みんな整然として避難したとか、お互いに助け合うことができたとか、評価の場面はさまざまだけど、今日の私は避難所のできごとについて話したい。聞いてくれるかな?
 
 

東日本大震災の避難所で起こったこと】

 避難所というのは――当たり前の話だけど、そこで働く人もそこで生活する人も、誰一人よく慣れていた人というのはいない。毎年避難所をつくらなくてはいけないような土地には、そもそも人は住めないからね。
 そういう意味で東日本大震災のときの数千か所(一説には2千500余り)の避難所は、すべて素人の集まりだったわけだ。しかしそれでも避難所の運営は、非常にうまく行ったということができる。例えばこんなふうだ。
 
 着の身着のままで逃れてきた人たちは狭い避難所で互いに譲り合いながら場所を確保し、静かに体を休めた。やがてようやく届いた食料を受け取るために、人々は長い長い列をつくって並び、さらにわずかな食事を分け合って数日の飢えをしのいだのだ。
 避難生活が長引くと分かると、人々は列をつくる代わりに別の方法を編み出すようになる。避難所の各部屋、あるいは体育館のブースごとに、部屋長や担当を決め、そのひとがまとめて食料を受け取り、あとで分けるようにしたのだ。これだとみんなが寒い思いをして並ぶ必要はないし、遅く行って受け取りそこなうこともない。食料は少なければ少ないなりに、公平に分けられるようになったのだ。

 やがて部屋長や担当を中心に、居場所の組み直しや清掃なども始められるようになる。避難所で注意しなくてはならない大きな点のひとつは衛生だ。きれいな水やタオルのないところで、伝染病などが流行したらひとたまりもないからね。

 避難所を運営する市の担当者からの説明も、部屋長などを通して行われるようになる。これだと担当者が大声を出したり、避難の人たちが聞き漏らしたりすることもなくなる。ああしてほしいこうしてほしいといった要望も、みんなで同時に叫んだらサッパリ伝わらないけど、部屋長を通せば届きやすくなる。
 ひとの異動――今は被災した自宅の後片付けに行っているとか、そもそも避難所にいる必要がなくなって出て行ったとかとかは、部屋長が一番よく分かっている。だからこの人たちを使えば避難者名簿なんてあっというまにできてしまうのだ。

 当時、東日本の各地では同じ市町村内に数十から100以上もの避難所がつくられたから、職員だけではとてもではないがうまく回せなかった。それを住民たちが自分たちの力で回し始めたのです―何とすばらしいことでしょう。

 そんな素敵なことは世界広しといえど、日本とごくわずかの国や地域でしかできないことです。普通は被災後、最初の支援が届くような段階では必ず奪い合いになってしまいます。国民性が悪いのではありません。生きていくには仕方ないのです。
 しかし日本ではそうはならない。少なくとも東日本大震災ではそうならなかった――。なぜだと思いますか?
 私は教師として、自信をもってこう説明することにしています。
「それは、日本人がいっぱい練習して、たくさん訓練したからです」
 
 

【避難所での過ごし方も、10年以上学んできた】

 考えても見てください。皆さんはいったい一日に何回「整列」の練習をしています?
 今朝は全校体育で整列、教室移動で行き帰り8回整列、給食で整列・・・。とくに給食で盛り付けをしてもらうって、避難所で食べ物を受け取るのとよく似ていると思いません? キミたちはそんなことを毎日何回も繰り返し、1年間には200日くらいもしているのです。

 部屋長の話もそうです。
 学級のことは班長を中心に行う、旅行先では旅行班長や部屋長の指示に従う、連絡や指示は班長を通してやる、各係は自分の責任を果たす――そんなことは小学校どころか幼稚園・保育園の年長さんあたりから少なくとも中学3年生まで、なんと、10年も続けてきているのです。そうした練習と訓練を続けてきたキミたちが、大人になって避難所の運営をうまくできないなんて、ありえないことでしょう。できて当たり前、何の不思議もありません。
 大切なことはそれぞれが役割を果たし、役割に従うということです。
 今日の学級当番はEくんとFさんですが、それはEくんFさんが立派な人だからそうなったわけではありません。いやEくんもFさんもとても立派な子ですが、それが理由で今日の当番になったわけではない、単に席順で今日の当番になっただけですよね。でもなった以上、二人は当番の役割を果たさなくてはいけません。めんどうだからやめていいということにはならないのです。
 その代わり、当番以外の人たちは今日一日に限って、EくんFさんの指示に従わなくてはなりません。二人が「おはようございます」と号令をかけたら、EくんFさんが好きだとか嫌いだとかに関係なく、いやでも頭を下げなくてはいけないのです。それが役割に従うということです。

 震災の避難所で起こったことも同じです。そこに暮らす人たちは部屋長が人格者だから従ったわけではなく、部屋長だから従う、その代わり不満や要求を市に通してくれるのも部屋長の責任だ。そういうことも、私たちは学校で長い時間をかけて学んできました。
 学校に学級係や児童生徒会や地区児童生徒会があって、いつでも活動を続けていることには、そうした意味があるのです。
 

【人生で必要なすべてのことは、学校で学べる】

 以前、東京オリンピックの閉会式でバッハ会長の長い長いお話をいつまでも聞いていたのは日本選手だけだったという話をしました()。英語のスピーチでしたからほとんどなにを言っているのか分からない選手たちも大勢いたはずなのに、皆さん、静かに会長の方に顔を向けていたのです。これなども、保育園のころから入園式や入学式・卒業式などで、校長先生をはじめ来賓の方々の話をじっと聞く訓練を続けてきた日本人だからできることです。
 ひとはよくわからない話でもじっと聞く必要があるのです。わかる話しか聞かない人は、いつまでもそのレベルに留まって、成長できません。

 その他、いちいち説明しませんが、遠足や旅行、音楽鑑賞や演劇鑑賞、運動会あるいはボランティア活動には、それぞれ重要な意味が含まれているのです。

kieth-out.hatenablog.jp

(この稿、明日最終)