【同音異義語が切り替えられない】
同音異義語に関する切り替えが――早すぎるのか遅すぎるのかよくわかりませんがしばしば混乱する、という話は以前、何回か書きました。
その混乱は今も昂じています。そして普通のひとがなぜ混乱しないのか、もしかしたらしているけれど言わないだけなのか、そのあたりもよくわからなくなってきています。
例えば先日の東京オリンピックで男子が金、女子が銀のメダルを取った空手の形、テレビで見ていたのですが画面の左上に出ていた「空手 形」の表示は、半角程度の空白は開いているものの、どうしても金融の「空手形(からてがた)」としか読めず、違和感に苦しんでいました。
そんな人は世の中にどれくらいいるのでしょう。まさか私一人ということもないと思うのですが、苦になりっぱなしで誰か苦情を入れてくれないかとイライラしていました。
例えば先日の東京オリンピックで男子が金、女子が銀のメダルを取った空手の形、テレビで見ていたのですが画面の左上に出ていた「空手 形」の表示は、半角程度の空白は開いているものの、どうしても金融の「空手形(からてがた)」としか読めず、違和感に苦しんでいました。
そんな人は世の中にどれくらいいるのでしょう。まさか私一人ということもないと思うのですが、苦になりっぱなしで誰か苦情を入れてくれないかとイライラしていました。
【夏休み中の混乱】
オリパラと言えば、パラリンピックでは小中学生を招待して観客席に入れるかどうかでしばらく問題になりました。その議論の中で繰り返される「感染」と「観戦」、かなりの程度は聞き分けられるのですが、ちょっと気を許すと混乱する――。
「感染対策を十分にした上で感染する――」
感染対策を十分にしたなら感染なんかしないはずだと、反射的に思ったら負けです。しかし負けます。
「感染対策を十分にした上で観戦する」のは当然のことで、普通のひとはやはり間違えないでしょう。
夏休み中の大雨で、私の住む県では土砂崩れのため通止めになった場所がありました。ニュースで見ていると河川事務所かなにかの人が、
「ウカイのできる人には、ウカイをしていただいています」
と説明していました。
土砂崩れがあったのは岐阜県ではありません。仮に岐阜県だとしても鵜飼いのできる人なんてほとんどいないはずですし、土砂崩れのあとでのんびりと鵜飼いなどしていられないでしょう――と、もちろんこれは「迂回」なのですが、「鵜飼い」の方が先に浮かびました。もっとも妻も不安そうな目でこちらを見たりしましたから、同じ思いだったに違いありません。
あとから考えると「ウカイの」とか「ウカイを」とかいったふうに助詞をつけるからいけないので、
「ウカイできる人には、ウカイしていただいています」
と言ってもらえば間違わずに済んだのかもしれません。いずれにしろつまらないことでアタフタしました。
「感染対策を十分にした上で感染する――」
感染対策を十分にしたなら感染なんかしないはずだと、反射的に思ったら負けです。しかし負けます。
「感染対策を十分にした上で観戦する」のは当然のことで、普通のひとはやはり間違えないでしょう。
夏休み中の大雨で、私の住む県では土砂崩れのため通止めになった場所がありました。ニュースで見ていると河川事務所かなにかの人が、
「ウカイのできる人には、ウカイをしていただいています」
と説明していました。
土砂崩れがあったのは岐阜県ではありません。仮に岐阜県だとしても鵜飼いのできる人なんてほとんどいないはずですし、土砂崩れのあとでのんびりと鵜飼いなどしていられないでしょう――と、もちろんこれは「迂回」なのですが、「鵜飼い」の方が先に浮かびました。もっとも妻も不安そうな目でこちらを見たりしましたから、同じ思いだったに違いありません。
あとから考えると「ウカイの」とか「ウカイを」とかいったふうに助詞をつけるからいけないので、
「ウカイできる人には、ウカイしていただいています」
と言ってもらえば間違わずに済んだのかもしれません。いずれにしろつまらないことでアタフタしました。
【混乱の原理】
同音異義語は何もかも混乱するというわけではありません。
「時短要請に応じない飲食店には――」を、「時短陽性に応じない――」に聞き違えることはありません。なぜなら「陽性に応じない」は普通の日本語にないからです。
同じように「感染」と「観戦」は発音も用法も同じですから混乱しますが、「汗腺」や「艦船」はそれぞれ違うところがありますから一緒になりません。つまり同音異義だけではなく、用法や発音が近いほど混同しやすいというのは一応の法則と言えます。
ところが逆に、類似性がなさ過ぎて、つまりあまりにも異質なためにかえってハマってしまうこともあるので厄介です。
例えば、
「川が雑炊する」
「虹災害」
雑炊については京に向かう一寸法師のイメージも入り込んでいるのでしょう。しかしこの不謹慎な連想は、事態の深刻さと同音異義語の軽さというアンバランス、つまり不謹慎だからこそすんなり落ちてしまうのです。
私は深刻なもの、生真面目なものを茶化して遊ぶような人間ではありません。それだけにまったく困ったものです。頭が悪くなっているに違いありません。
「時短要請に応じない飲食店には――」を、「時短陽性に応じない――」に聞き違えることはありません。なぜなら「陽性に応じない」は普通の日本語にないからです。
同じように「感染」と「観戦」は発音も用法も同じですから混乱しますが、「汗腺」や「艦船」はそれぞれ違うところがありますから一緒になりません。つまり同音異義だけではなく、用法や発音が近いほど混同しやすいというのは一応の法則と言えます。
ところが逆に、類似性がなさ過ぎて、つまりあまりにも異質なためにかえってハマってしまうこともあるので厄介です。
例えば、
「川が雑炊する」
「虹災害」
雑炊については京に向かう一寸法師のイメージも入り込んでいるのでしょう。しかしこの不謹慎な連想は、事態の深刻さと同音異義語の軽さというアンバランス、つまり不謹慎だからこそすんなり落ちてしまうのです。
私は深刻なもの、生真面目なものを茶化して遊ぶような人間ではありません。それだけにまったく困ったものです。頭が悪くなっているに違いありません。