カイト・カフェ

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「地獄に行っても救いに来てくれる」~怒れる菩薩、地獄に仏②

 仏教は552年あるいは538年に日本に伝来したと言われています(仏教ここに《552》ござは《538》った)。

 その後奈良時代に栄えた仏教は、法隆寺の正式名称が法隆学問寺であることからも分かるように、非常に高尚な小難しいものでした。学問僧としての長い修行を経ないと手が届かなかったのです。

 平安時代空海最澄が伝えた密教は、その困難を乗り越えるものでした。難しい部分は密教として隠し、分かりやすい部分だけを表に出したのです。加持祈祷、つまり呪文を唱え護摩を焚いて祈ったりすることで、仏とつながろうとします。これだと理解できなくても何となく救いがもたらされるような気になります。
 ただし金がかかる。難しい部分、辛い部分をすべて僧に任せ、成果だけをいただこうというのですから無理もありません。貴族か何かでないととても支えきれるものではありませんでした。一般人だって仏教に繋がりたいのです。平安時代の中期以降、浄土教が流行するのはそのためです。

 浄土教は「阿弥陀仏」を一心に拝みさえすればいいという、簡単で金のかからない仏教で、ちょうど末法思想(この世が滅びるという予言)が広がったこともあって、やがて「浄土宗」「浄土真宗」「融通念仏宗」「時宗」という四つの宗派を生み出し興隆します。これに「法華経」を中心として現世に極楽を生み出そうとする日蓮宗が加わり、仏にすがろうとするほぼすべての人々の欲求に応えられるようになったのです。

 ただしそれすらも許されない人々がいました。当時の中心勢力である武士です。
 彼らは悪く言えば人殺し集団ですからどう祈ってもどうすがっても、やがて行くべき場所は地獄以外ありません。今日まで人を殺さなかった武士も「いざ鎌倉」となれば進んで殺さなくてはならないのです。そうした事情もあって、鎌倉時代にはじっと瞑想して心を整える禅宗も広がります。

 以上が大雑把な日本仏教の流れです。これに江戸時代伝わった黄檗宗(おうばくしゅう)を加えると、ほぼすべてを扱ったことになります。

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 さて地蔵菩薩についてお話しするつもりの前触れがこんなに長くなってしまいました。

 地蔵は菩薩ですから仏になるための修行中の身でした。しかしある日、彼はその身分を捨てるのです。

『一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ(現世を全て救くおうという誓いを果たさなければ、自分は二度と菩薩界には戻らない)』
 そう言って彼は自分の世界を後にします。彼がまず救おうとしたのは三途の川のほとりの賽の河原で石を積む子どもたちです。この子たちは親より先に死んだ罪によって石積みの刑を受けています。

 それから地蔵は、人間が死んでから生まれ変わる六つの世界(六道《りくどう》:天・人間道・阿修羅道・餓鬼道・畜生道地獄道)を旅して、そこで救いを求めている人々を助けようとします。ですから地獄で会える仏は地蔵をおいて他にいないのです。地獄に仏というのは彼のことです(本当は仏ではなく、菩薩ですが)。その意味でも、地蔵菩薩武家に愛され、全国各地で信仰されます。六道を駆け巡るために6体に分身することも多くあります。それを並べたものが六地蔵です。

 悟りを得て仏になるという本来の目標を捨て、子どもを救うために進んで賽の河原に赴き地獄にも足を運ぶ地蔵菩薩
 それから昨日お話しした、救いようのない者までロープや布でからめとって救済しようとする不空羂索観音
 この二つが好きなのは、二人とも私たち教師に似ているからなのかもしれません。

(この稿、修了)