カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「やはりひとは大切にしなくてはならない」~喪中はがきを見ながら思ったこと。

 ここしばらく、年末に喪中はがきをもらうことが多くなっている。
 同世代の友人たちにとっては、ちょうど親たちが亡くなる時期だ。
 しかし時に、下の世代の訃報が届くときもある。
 やはりひとを大切にしようと思うのはそういうときだ。

という話。

f:id:kite-cafe:20211201073650j:plain(写真:フォトAC)

【年賀状の季節、喪中はがきの季節】

 12月になりました。「師走」の字のごとく、学校の先生方にとっては2学期のまとめの時期。忙しい日々が続きますがお体に留意の上、お励みください。
歳が明ければ1月・2月はけっこうゆとりのある時期(最高学年は除く)です。それを楽しみに頑張りましょう。

 さて、そろそろ年賀状の準備をしなくてはならないのですが、最近続々と届くようになったのが喪中はがきです。
 喪中はがきには波のようなものがあって、子どものころのやり取りでもらうのはたいていが祖父母の死。それからだいぶ間があいて40代半ばあたりから親の訃報が寄せられてきます。
 その親の死にもふた山あって、おそらく父親と母親の年齢差や平均寿命が関わるのでしょう、しばらくたくさんもらったかと思うと届かない時期があり、60歳代後半の今はまた多くもらうようになります。
 親ばかりでなく年齢の離れた兄や姉が亡くなるということもありますから、多くなるのは自然なのかもしれません。
 ところが昨日もらった喪中はがきは、それらとは全く違ったものでした。

【長男の妻が、永眠しました】

「長男の妻 ◯◯が本年二月に永眠しました。生前に賜りました――」
 差出人は昔お世話になった先生で、私より10歳ほど年上ですからまもなく80歳といったところでしょうか。奥様との連名ですからご夫婦、つつがなくお過ごしのことと思います。その息子さんの配偶者が亡くなられた――拝察するに40代前後の働き盛りといったところでしょう。心が震えました。
 
 この先生からは一昨年も喪中はがきが届いています。その時に亡くなったのは息子さんでした。今回のはがきにあった「長男」と同じひとなのか、別の兄弟なのか、文面に記憶がないのですが、子ども世代の親族を立て続けに亡くす心痛の、いかばかりかと私のこころも痛んだのです。

【やはりひとは大切にしなくてはならない】

 自分自身がいい年なので新聞の「お悔やみ欄」(死亡広告)はよく見るようにしています。一度、とてもお世話になった方の死亡広告を見逃してしまったことがあり、以来神経質になっているのです。
 毎日見ていたところで役に立つのは数年に一回といった程度ですが、眺めているとすぐ気づくのは「ひとは相当な年にならないと死なないのが普通だ」ということです。ほとんどが80代後半から90歳以上。60代・70代で死ぬのが恥ずかしいような感じさえします。
 普通に、何事もなく暮らしているとそのくらいは生きられてしまう、逆に言うと60代以下で死ぬのはそれくらい異常なことなのです。
 しかしそれでもひとは死ぬ、どんなに若くても死ぬときは死んでしまいます。

 私は無意識に娘のシーナやその夫のことを想いました。息子のアキュラはまだ独身ですが、いずれ妻を持つでしょうからその人のことも思い浮かべてみます。
 妻や、私自身の弟や妻の姉たちのことも思い浮かべ、一期一会、やはりひとは大切にしなくてはならないと思いました。