「“できる女”は複数の手段をもつ」~ファックスの何が悪い!②

 できる人間は複数の通信手段をもって用途別に生かす、
 たぶんそうだ。
 そして賢い国民も、古い通信インフラを容易に手放さない。
 それは必要で、安全対策として有効だからだ。

というお話。

f:id:kite-cafe:20200602071306j:plain(「カフェで打ち合わせするビジネスマンとビジネスウーマン」パブリックドメインQより)

【小憎らしいほど格好のいい人を見た】

  二年ほど前のことだったと思うのですが、東京から自宅に戻る電車の中で、気になる人を見つけました。ガラガラの車両の斜め前に座っていた上下黒革のスーツの、20代とおぼしき人です。

 短髪で耳にピアスをしているものの爪は短く、マニュキュアの色もなく、指輪もしていない。華奢な体つきの男性とも、いかつい感じの女性とも、どちらにも見えます。女性だったら宝塚の男役系です。とにかく格好がいい。

 座席の前の折り畳みテーブルにパソコンを置いて、足を組んだまま何か仕事らしきことをしている、その姿が実に絵になる。まるで40年前の自分を見ているようです(もちろんウソ)。

 だいぶ時間が経ってからその人は仕事の手を休め、いったんPCを閉じるとバッグからタブレットPCを取り出してメールとLINEのチェック。再び仕事に戻るとそこに車内販売がやってきてコーヒーを注文する声で女性と分かりました。
 なんかすごいでしょ?

 スマホでなくてタブレットでメールとLINEのチェックというところが“仕事のできる女”感満載です。
 しかしそれだけならまだしも、私を心そこ感動させたのは、降車駅が近づいたようでPCの片づけを始めた女性が、最後にポケットからガラケーを取り出して、何かを確認し(たぶん着信履歴)、またポケットに滑り落として颯爽と降りて行ったときでした。
 カッ、ケ~~~~!!

 最後まで拝顔の栄には賜りませんでしたが、もう顔なんてどうでもいい。少なくとも3種類の機器を用途に合わせて使い分けるなんて、同じ列車で付属テーブルにスマホを横置きにして、ちっぽけな折り畳みキーボードでちまちまブログを書いている私とは大違いです。できれば私も格好よくガラケーを取り出してみたいものです。もちろんこの年齢ですから、スマホタブレットがあることを見せびらかしてからでないとできないことですが。

 

【ボクの家にはファックス付きの固定電話がある】

 通信手段の使い分けということでは、私にもやっていることがないわけではありません。
 例えばメールはプロバイダ・メールを中心に重要なものはそこに集め、あまり利用しない企業や不特定多数とのやりとりはフリー・メールを使うようにしています。フリー・メールに重要な連絡が入ることはありませんから、一カ月に一回くらい、まとめて処理すれば終わりです。
 携帯メールのアドレスは友人以外には教えないようにしてきましたが、最近はLINEでのやり取りが多くなってそれ自体、使うことが少なくなっています。しかしこの程度はだれでもやっていることでしょう。

 私が自慢したいのはファクスつきの固定電話を持っていることです。つい最近まで自慢するようなことではなかったのですが、子どもたちの世代は固定電話をほとんど持っていませんから、この際、自慢しておきます。

 いつも不思議に思うのですが、携帯電話しか持っていない世帯では、例えばネットなどで何かを購入したときなど、電話番号の記入を求められたら携帯番号を入れるのでしょうか? そうやって知らせた番号に、業者さんからの勧誘や妙なアンケートの電話がかかってきて困るといったことはないでしょうか?

 私のところには固定電話がありますので、何かの申し込みで記入が必要なときがその番号を入れることにしています。その上で固定電話自体は常に留守設定にしておくのです。基本的に出ません。
 これだと勧誘やアンケートのような電話は受けずに済みますし、重要な連絡だったら録音に残してもらえば、あとでこちらからかけ直せばいいことです。非常に便利です。

 昔はファックスに勝手に広告が送られてきて、紙やインクリボンがムダになることも多かったのですが、今はモニターで確認してからプリントアウトすればいいのでそういうことはなくなりました。もっとも社会からファクス自体が減っているせいか、最近は広告も送られてこなくなりました。

 

【二重三重の通信手段という安全対策】

 世の中にはなくてもいいがあれば便利というものは数多くあります。
 私の家のファックス付き固定電話などはまさにその代表格で、めったに使うことはありません。
 ただし携帯電話はよく置き忘れるのでそんなときは固定電話から呼び出して在りかを突き止めたり、外から妻に電話したとき、マナーモードで気づいてくれなかったりすければ固定電話でガンガン呼び出すなど、けっこう重宝しています。

 さらについ最近も、電話帳――しかもわざわざ保管しておいた平成5年版――を使って私の家を調べ、電話してきてくれた人がいましたが、とても重要な内容で、このためだけにも長いあいだ電話料金を払い続けてきた甲斐があったと思われるできごとでした。

 こうした生活の基盤にかける費用は一種の安全対策費です。もし私が携帯しか持っていなかったら、古い人間関係、緩い人間関係は遮断されてしまいます。何らかの理由で携帯が使えなくなったら(紛失したら、故障したら)、その瞬間からしばらくは電話を通した情報伝達手段はできなくなります。
 個人ですらそうですから社会全体となると、通信手段が一つしかないと大変なことになります。

 これまで何度も話してきましたから覚えておられる方もいらっしゃるかもしれませんが、1995年の阪神・淡路大震災の際、私は明石の友人を心配して何度も電話をしたのです。しかし通じたのは一週間後のこと。被災地の中から外への電話は通じたのですが、外からはなかなか通じなかったのです。
 ところが後に新聞か何かで読んで知ったのですが、世の中には賢い人がいて、その日のうちに有効な手段を使って連絡を取ることができたようなのです。
 その手段とは、なんと、電報です。

 心配しているから無事なら電話をくれといった内容だったのでしょう、相手からはすぐに連絡があり、安否確認ができたようです。電報なら、燃え盛る被災地中心でない限り、必ず届けてもらえます。

 今ならさしずめ、電話をして、メールを打って、LINEのメッセージを送り、電報を打って、さらにハガキの一枚も書けば、どれか一番最初に着いたものに反応があるはずです。もちろんその中には“ファックスで送信しておく”というのも入れておきましょう。

 

【必要なものはなくならない、不要なものは放っておいても消える】

 新型コロナ事態で汚染されているかもしれない現金のやり取りを忌避して、キャッシュレス決済の割合が増えているといいます。しかし私たちは現金も手放さないでしょう。

 キャッシュレス先進国というか、もはや現金の使えない国、スウェーデンでは、人々はスマホと同時にモバイルバッテリーも携帯し、常に電源確保に気を遣っているそうです。そうしないといざというとき何もできないからです。
 しかし個人がどんなに気を遣っても、ネットワーク障害や停電があると店の機械が使えなくなってしまいます。支払い手段も一つにしてはいけません。

 今も日本中にファックスがあるのは、それが便利で必要だからです。声高に「遅れている」などといわずとも、必要がなくなればいつかは消えていきます。ポケベルやPHSがそうであったように。
 しかし今は必要なもので、諸外国にどういわれようと、胸を張って使い続ければいいのです。