大阪で行方不明になって栃木で見つかった小学6年生
以来 子どもとSNSに関する話題が情報番組で沸騰している
しかしもともとスマホを持たせたがったのはおとなたちではないか
親と政府と財界が 子どもを悪魔に差し出した
という話。
(「光の青いネットワークテクノロジー地球と街並み背景」PhotoACより)
【SNSでつながった6人の向こうには・・・】
一応私もツイッターのアカウントを持っていて、毎日ブログの更新情報を出しています。
ほぼ毎日ですからツイート数は1000を越えているのですが、フォロワーはわずか9人。おそらく普通の人なら恥ずかしくて口にできない数でしょう。
ところで日本人のツイッターの、平均フォロワー数はどれくらいかというと、あるブログ(「はなちるのマイノート」)の単純計算で319.4人。圧倒的なフォロワーを持つインフルエンサーとほとんど誰にも顧みられていない私のようなインフルエンザ(ウィルス並みの弱小アカウント)、上位・下位それぞれ10%を除外して計算しなおした数はおよそ76.1人となるそうです。
そう言われても多すぎるのか少ないのか、妥当な数なのかもわかりませんが、他にあてもありませんからこの数字で話を進めさせていただきます。
私のアカウントに、実際よりもはるかに多い76人のフォロワーがいて、その人たち(これを第一世代と名づけます)のアカウントにも76人のフォロワーがいたとします。すると私の発した情報は第一世代で76人、第二世代で76×76=5776(人)に拡散することになります。
同じ計算で第3世代は43万8976人、第4世代で3336万2176人。細かな数字は面倒なので3300万人ということで丸めて、第5世代は25億800万人、第6世代では196億800万人にもなって世界人口(およそ77億人)を軽く越えてしまいます。宇宙人にも参加してもらわないと足りません。
もちろんフォロワーにはかなりの重複がありますからこんな単純な計算にはならないのですが、スマホでつながった6世代(6人)先には宇宙人がいる(かもしれない)ということは、SNSを考えるうえで常に頭に置いておくべきことです。
【時間と空間の壁がない=となりの猟奇殺人犯】
今回の事件では小学生が犯人と知り合ってわずか一週間で拉致されてしまったことに驚きの声が上がっていますが、私が知っている例ではすでに10年前、小学生がわずか3日で連れ出されたことがありました。
“人間関係は付き合いの長さではない”
そんな言い方をします。確認すべきはその一週間のあいだのやり取りの回数と深さでしょう。もしかしたら私たちにも納得できる、濃いものだったのかもしれません。
大阪と栃木という距離も、ネット上、問題とならないことは周知です。
3年前に東京都小金井市で起きた地下アイドル殺人未遂事件の犯人は京都市右京区の人間でしたが、本人の感覚からすれば隣町のアイドルに心を寄せていた程度の距離感だったのでしょう。
我々はスマホを通してつながる相手を、ニューヨークいるか炬燵の反対にいるかで区別しません。
世界は時間的にも空間的にもまったく違ったものになってしまったのです。スマホを通してあらゆる人間が直接子どもとつながってしまう。
仮想現実的に言えば、
台所から娘に、
「ちょっとォ! いつまでもスマホいじっていないで宿題やったら?」
と言って居間を覗いたら、娘のとなりに、
ヤクザが、
振り込め詐欺の元締めが、
あるいは猟奇殺人の連続犯が
座っていた
といったようなものです。
もちろん娘はそれと気づいていない。
仮想ではない現実の母親も、それを知らない・・・。
【スマホ携帯は防犯用品にならない】
こんな危険なものがなぜ家庭に入っているのか。
ある調査(*1)によると、子どもに携帯電話を持たせた第1の理由は、小学校の低中高学年・中学生のすべての保護者で「緊急時に連絡が取れるようにするため」です。言ってみればめったにこない緊急時のために、日常を危険にさらしているわけです。
さらに小学校低中学年の第2位、高学年の第3位は「防犯のため」ですが、そうなるともうブラックジョークでしかありません。防犯のために子どもを危険に晒すわけですから。
*1「スマホや携帯電話の学校持ち込み、賛成?反対?小中学生の携帯電話利用を調査」2019.03.14 市場調査メディアホノテ
2004年11月17日、奈良県で誘拐され殺された小学校1年生の女児は“防犯のため”に携帯電話を持たされていました。当時としては大変珍しいことです。しかしそれにもかかわらず女児はいともたやすく誘拐され、その携帯によって撮影された遺体写真は直接、捜索中の母親に送信されたのです。
携帯電話は、防犯どころか被害者家族の神経を逆なでするために利用されたのです。今回の大阪―栃木の事件にしても、スマホは防犯のための何の役にも立っていません。
先の調査では他に、全学年で「日常的に連絡が取れるようにするため」が入り、中学生では「子どもが欲しがったから」が入ってきます。
そのあたりが本音で、「自分が楽をしたいから」「子どもを指導しきれなくて」は言いにくいので、「緊急時」や「防犯」を言い訳にしているとしか思えません。
【親も政府も子どもを危険に導く】
平成30年度の小学生のスマホ所有率(子ども専用)は35.9%、中学生で78%にも及びます。(*2)
スマホ・携帯を所有する小学生の保護者の85.5%、中学生の保護者の79.5%が「フィルタリングを使っている」「大人の目の届く範囲で使わせている」等のルール作りをしていると回答していますが、ルールがあることを意識している小学生は77.0%、中学生は62.3%とかなり減ってしまいます。
親はルールを作ったつもりでいるのに、すっかり忘れている子どもがいるということです。
またこの調査では、「ルールが守られているかどうか」は調べられていませんから、「ルールはあるけど守っていない」「守らせていない」といった状況もあると思います。
小学生の5人にひとり(20.5%)、中学生の3人にひとり(34.2%)は「我が家にはルールはない」と答えています。
管理できている親もいますが、まったくしていない親、しているつもりだけの親もたくさんいるのです。
*2 2019.02.28「平成30年度青少年のインターネット利用環境実態調査調査結果(速報)」内閣府
本年2月19日、文科省は保護者・マスメディア・産業界等々の圧力に負けて、「災害時の連絡手段として有用」などの理由から、これまで小中学生が学校にスマホや携帯を持ち込むことを原則禁止としてきた方針を見直すと発表しました。
「災害時の連絡手段として有用な場合もあるから、学校に携帯を持ってきていいよ」という言葉は、一部の児童生徒や保護者には「携帯を買って学校に持ってくるように」としか聞こえません。
持たせないのは親として子どもに関心がないから、危機意識が薄いから、貧乏だから、そんなふうに思われてもかないませんし、祖父母の中には「ウチの孫だけが持っていないのはかわいそう」と、言われるままに1台十数万円もする「iPhoneX」を買い与える人だって出てきそうです(まさかと思うなら試してみればいいのです)。
そんなふうに親も国も地方公共団体も、自身の安逸や利便性と引き換えにこぞって子どもたちに“悪魔の機器”を渡そうとします。
あとは学校教育の成果に期待するだけということなのでしょうか。
勘弁してほしいものです。
(この稿、続く)