カイト・カフェ

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「子どもに話そう冬至のあれこれ」~世界の冬至、柚子、カボチャ

 明後日(22日)は冬至
 春分秋分と違って休日でもなく(今年は日曜日だが)、
 クリスマス直前で気持ちが入って行かない。
 しかし日本ばかりでなく、世界にとって古くからある大事な行事。
 ひとこと子どもに話しておこう。

という話。f:id:kite-cafe:20191220072131j:plain(「ゆず湯 露天風呂のイメージ」photoAC より)

【世界の冬至

 明後日、12月22日(日)は冬至二十四節気のひとつで、一年で最も昼の短い日です。

 春分秋分は“お彼岸”とも呼ばれ国民の祝日、お墓参りに行ったりしますから意識しやすいですが、冬至夏至はたいていの場合、気がつかないうちに通り過ぎてしまいます。しかし意外と大切な日で、インダス文明のシュメール暦や中国の周暦では冬至が一年の始まりでした。
 ヨーロッパでは古代ローマケルト人、ゲルマン人の間にも冬至を祝う風習があったと言います。

 私たちはクリスマスをイエス・キリストの誕生日と信じていますが、実はいつ生まれたのかはっきりしたことは分かっていません。昔は誕生日についての興味・関心もなかったみたいです。
 ただイエスの生誕を祝おうというとき、いくつか候補の中に古代ローマで広く信じられていたミトラ教キリスト教からすれば異端)の祝日(12月25日)があり、これに配慮して25日を降誕祭としたと言われています。西暦325年ニケーア公会議でのことです。

 日本でも昔から湯船に柚子(ゆず)を浮かべたり、カボチャや小豆粥を食して健康を祈ります。

復活の日

 冬至がなぜこうした特別な地位を与えられたかというと、それは復活の日だからです。
 夏から秋にかけて日が短くなり、気温も下がって植物も葉を落とし活動を終えます。それは太陽の衰退で、悪霊の跋扈する予感をさせます。
 人々は厳しい冬に備えながらじっと耐え、新たな時代の到来を待ちます。悪霊からも身を守らなくてはなりません。
 そして冬至が来て、太陽の衰えは止まり、この日を境に再び隆盛へと向かう。


 春はまだずっと先ですが、太陽の復活と新たな大地の芽吹きが確かに感じられるようになる――だから大切なのです。

【柚子とカボチャ】

 柚子は香りが強いために古くから魔除けとして使われていたようです。端午の節句の菖蒲、吸血鬼に対するニンニクのようなものです。

“柚子は「融通」、冬至は「湯治」につながるので「融通をきかせて世間を渡れますように」にという願いを込めて風呂に入れた”という説もあるみたいですが、それには根拠がないとの話もあります。

 カボチャを食べるのも、昔は最後に「ん」のつく食べ物は魔除けになるという説があり、レンコンやニンジンとともに南瓜(ナンキン)とも呼ばれるカボチャが珍重されたとも言われています。ただし冬至に野菜を用意しようとすれば、カボチャは当然出て来てしかるべきです。
 12月の末では他にこれといった野菜もなく、小豆とともに保存の効くものを並べるしかなかったのでしょう。カボチャはカロチンやビタミン類を大量に含んでいますから、経験的に重視されたという面もあったかと思います。

【それでも日の出は遅くなる】

 ところで冬至は一年でもっとも昼の短い日だが、日の出が一番遅く、日の入りが一番早いわけではない」という話があります。
 調べると、
 日本では、日の出が最も遅い日は冬至の約半月後(年明け)であり、日の入りが最も早い日は冬至の約半月前であるWikipedia

 最初はどういうことかよく分からなかったのですが、要するに、
「夏から冬にかけて、日の出は遅くなり日の入りは早くなって昼の時間帯はどんどん短くなっていくが、冬至の約半月前になると日の入りの早まりは止まり、反転して遅くなり始める。しかしそれを上回る速さで日の出が遅くなるため、冬至までの半月間、昼の時間は短くなり続ける。
 その間に日の出時刻の遅くなる速度は弱まり、冬至に、日の入りの遅くなる速さと同じになる。遅くなる速さが同じだから、もうそれ以上、日が短くなることはない。
 やがて日の入りの遅くなる速さが日の出のそれを上回り始める。日中の時間が延び始める。ただし日の出自体が早くなるわけではないので、さらに半月あまり、日の出時刻は遅くなり続ける。そして止まる。
 その日から日の出の時刻は反転して早くなり始め、なおも遅くなり続ける日の入りとともに、昼の時間はどんどん長くなっていく」
 そういうことのようです。分かりにくいかもしれませんが精一杯の文です。繰り返し読んでみてください。

 太陽の運行や地球のかたち、日本の位置に関わる複合的な動きだからなのでしょう。いずれにしろ、明後日(冬至)以降も日の出はしばらく遅くなり続けるということです。

【オランダ冬至

 江戸時代、長崎の出島では「オランダ冬至」という行事がありました。
 日本の「冬至祭」に合わせて、オランダ商館長が日本人役人を招いて盛大にお祝いしたようです。
 おそらく役人たちも、ほどなくそれがクリスマスであることを見抜いたと思うのですが、いまさら明らかにできなかったのでしょう、「オランダ冬至」は途中から一週間ずらして「オランダ正月」となり、明治維新まで続いたようです。