カイト・カフェ

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「まず隗(かい)より始めよ」~東京都教育委員会の迷走を止めろ!②

 大学生にどんな甘いささやきをしても必ずばれる。
 彼らも真剣に調べているのだ。
 本当に人材が欲しいなら、それなりに組織を変化させていくしかない。
 教員志望がゼロになる前に、
 急げ! フラッグ・シップ東京都。

という話。

f:id:kite-cafe:20191219070852j:plain(「ライトアップされた東京都庁photoACより)

【まず隗(かい)よりはじめよ】

 隗は古代中国の燕(えん)の国の大臣の名です。
 そのため「まず隗より始めよ」は“身分の高いものから襟を正せ”みたいな使い方をされますが間違っています。

 有能な人材を手に入れるために大金を使おうとする燕王に対して、隗はこういったのです。
「まず私の待遇を破格によくしてください。そうすれば噂は広まって“隗のような凡人でさえあれほどの厚遇を受けるなら、自分はさらに大切にしてもらえるだろう”ということで人材が集まるに違いないからです」
 燕王が隗の勧めに従ってその通りに行ってみると、なるほど全国から有能な人々が次々と集まってきた――そういう話なのです。

 東京都も教員に人材を集めたければ今いる教員たちを手厚くもてなさなくてはなりません。
 学生には、
「東京都は心底、教員を大切にする自治体なのです。一瞬ですら私たちは先生たちのことを忘れたことはありません。今はうまくいっていなくて申し訳ないが、そう遠くない将来、必ず先生たちが納得のいく、気持ちよく、楽しい職場を作り上げます。だから私たちを信じて、どうか東京都に受験に来てください」
 そう言って頭を下げる。
 来るか来ないか分からないような外部人材の話をするのではなく、目の前の、今からできることにまず手をつける。
 教職ブラックの根源は「多忙」なのだからやっていいことは引き算だけです。業務に支援者をつけるなどという話もありますが、余計なものを加算すれば仕事の割り振・依頼・確認などかえって煩雑になることもあります。
加算していいのは教員の数と予算だけです。

 

【独自のことはやめる、金で解決できることには金を使う】

 まず他の自治体ではやっていないこと、東京都が先鞭をつけたことはすべてやめる。残していいことは何もありません。

 土曜授業なんて明日やめたってかまわないでしょ? 誰も困らない。参観日も減らす。
 保護者から不満が出たら、
「こうしないと有能な先生が来てくれないんですよ。世の中には週休三日の動きもあるというのに、学校は休みを減らす方向でいく。これでは人材の集まりようもない。お父さんだって息子が過労死すれすれの教員になりたい、なんて言い出したら素直に喜べないでしょ?」
 そんなふうに正直に言えば、きっとわかってくれます。

 すでに破綻している主幹・主任の募集を直ちにやめ、3年ほどかけて主任は主幹に、主幹は全員、副校長にしてしまう。さらに3年かけて新たな主幹も副校長にする。その上で順次、校長に昇格させ空席を埋める。それでもあまった副校長は、とりあえず大・中規模校の二人副校長制でしばらく使う。
 再任用校長をなくし、
「自分の理想の教育を実現するために校長になりたい」
という生真面目な教員のために道を空ける。

 自己を見直すという点ではまったく意味のないわけではない人事考課も、エネルギーコストがかかりすぎるからやめる。こんなのはなくてもまったく困らない。
 そもそも100人を越える職員を抱えている特別支援学校の校長先生なんて、どうやってきたのか。

 OJTだのPDCだのあるいはマネジメントだの、英語でしか表現できない学校運営・教育理論を一切排除する。
こと教育に関して、学力的にも道徳的にも、はるか格下のアメリカから学ぶことはないもない。

 都の教育予算を飛躍的に増やす。その上で30人学級を完全実施する。
 教員を増やす。
 事務職員の給与を上げて欠員を埋める。

 全国学テの成績で学校を責めるのをやめる。
 教員免許更新制も都独自でやめる――ことはできそうにないので、その代わり研修費約3万円を全額補助するくらいのことはする。
 “先生たちの負担を考慮して、教員免許更新制をやめるように国に働き掛けている”
 フリだけでもいいからしてほしい。
 その他、一般教員の考えをよく聞き、できることは片っ端やっていく

――そのくらいの覚悟がないと、この先、不況が訪れて公務員人気が高まったとしても、教職に就こうという若者が出て来ようがありません。敢えて虎穴に入らずとも、東京には虎児がいくらでもいます。

 

【昔の東京はこうではなかった】

 実は40年近く前、私は東京都郊外の中学校で教育実習をしました。小平とか東久留米だとか、あの辺の学校だったと思います。
 まだ東京の学校がまったくナルイ時代で、朝、私鉄の関係で7時50分に着いて正門の前に立つと、到着しているのは私たち実習生だけでした。
 8時ちょうどに用務員さんが扉を開けてくれるのですが、そこからわずか20分間に全員の教師と600名もの生徒が一斉に校舎に入ります。魔法みたいでした。

 8時20分から職員朝会、8時30分から朝のホームルーム、8時50分から1時間目のはずが、職員朝会を20分もやっているのでホームルームも遅れ、1時間目の授業は必ず9時5分か9時10分の始まりになります。それを誰も改めようとしない。

 学年会は昼食時、決められた場所(私の学年は保健室)へ給食を運ばせ、そこで食べながら話し合って終わり。
 放課後は、これが一番驚くのですが、午後4時になると校長と教頭、教務主任、それから6つしかない部活の顧問と部員を除いて、あとは全員、朝、集まって来た時と同じようにあっという間にいなくなってしまう。
 これが世に聞こえた「東京方式」で、教員は昼休みが取れないので(実際に指導したり会議をしていたりしている)その休憩分を勤務時間のうしろに回し、4時になったら勤務終了ということになっていたのです。

 私たち実習生にとっても放課後は牧歌的な時間で、「教員って、やっぱいいよな」などと語り合ったものです。
 学問は暇がないとできません。

 

【私が東京都の教育行政にこだわる三つの理由】

 教員でもなく都民ですらない私が東京都の教育行政にこだわる理由のひとつが、その時の体験です。

 東京の牧歌的な教育にすっかり自信と希望を抱いた私は、地元田舎県の教員になってとんでもなくひどい目にあいます。まったく状況が違って、めちゃくちゃ過酷でしたから。
 ただしその過酷さも、現在の東京ほどではないと思います。

 東京にこだわる二つ目の理由は、ここ20年あまりの日本の教育改革は東京に引きずられる形で動かされてきたからです。少なくとも中央教育審議会教育再生会議の委員は大部分が首都圏に暮らしており、東京の教育を基礎にものを考える傾向があります。東京が道を誤れば、日本中が間違ってしまう。

 三つ目は、これが一番大事なのですが、私の大切な孫の父親、都内で小学校の教員をやっている娘婿のエージュが、まったく家に帰ってきません。
 夜9時にようやく帰宅した父親に抱かれた7か月の孫は、両手両足をばたつかせキャーキャー声をあげて喜びます。その時間を父と子から奪うのは人倫にもとる行為と言えます。
 しかも翌日の土曜日、エージュは子どもたちが目覚める前に出かけていかなくてはなりません。土曜勤務日ですから。
 そう言えば前の晩も、遅くまで参観授業の準備をしていました。
 そこに腹が立つ。

――とここまで書いてきて私は思いなおします。
 若者よ、学校なんて簡単には変わらない。東京都のみならず、教師になるといった愚かな選択はしてはならない。
 このまま進んで採用試験の倍率が1.0を切ったら、何か変わるかもしれない。教員になるのはそれからでもいいじゃないか。
 東京が困らないと日本全体が変わらない。


(参考)

kite-cafe.hatenablog.com たった2年前の記事なのに、正規教員が足りなくなるという私のくだらない予言が当たりつつあります。