そう、ヴァージニア、サンタさんはいます

 あまり意識されないことですが、クリスマスと翌年の元日は曜日が同じだって、知ってました? たとえば今年、平成22年の12月25日は土曜日ですが、翌23年の1月1日も土曜日、つまりわずか一週間で子どもたちはサンタと親の両方から、モノと現金で収入を得るのです。そんな国って、世界中にそうないでしょう。

 私は自分が親になってなってから、俄然、気になり納得できない気持ちになりました。日本の子どもって、こんなに甘やかされていいものでしょうかということです。しかし自分の子どもが大きくなってサンタが来なくなってから、私はまた考え直しています。

 七福神やお地蔵様が子どもにとって遠い存在になってしまった今日、お年玉をくれる親や親戚以外に、自分のこと本気で考えて一番欲しいものをプレゼントしてくれる人がどこかにいる、そう信じられることはいいことかもしれないと思うようになったのです。子どもはたくさんの人から愛されて育つことが必要です。そして多くの人から愛されている信じられることが大切です。

 サンタが実在するかという問題に関して、今から100年以上前、アメリカのヴァージニア・オハンロンという少女が『ザ・サン』という新聞社に手紙を書いたことがあります。オハンロン家では何か分からないことがあると『ザ・サン』に手紙を書く習慣があったのです。

親愛なる記者様--私は8つです。

年下の友だちに、サンタさんなんてほんとうはいないんだよ、という子がいます。

パパは、「『ザ・サン』がサンタさんのことを書いたなら、きっとその通りだろう」と言います。

どうか本当のことを教えて下さい。サンタさんっているんですか

 この質問に社説で答えるように指示されたのはフランシス・ファーセラス・チャーチという論説委員です。元は牧師の子ですが相当な皮肉屋で、「ザ・サン」の社説で物議をかもし出すものがあるとしたらそれはチャーチが書いたものだと言われたくらい辛らつな人です。

 この仕事を与えられたときも相当にイライラした様子で、「社説で扱える内容は限られている。8歳の子供に返事を書くより他に大切なことが一杯あるじゃないか」と抵抗したようですが、それでもチャーチは答えを書き上げ、それはその後、1950年に『ザ・サン』が廃刊されるまで、最も有名な、最も愛された社説と言われるようになりました。

「ヴァージニア、あなたのお友達は間違っています」で始まるこの社説は、アメリカ人なら誰しも一度は目にしたことのある文です。中に「サンタさんを信じない!それは、妖精だって信じない、と言ってるのも同じです」とあったりして、ちょっと日本人を納得させるにはふさわしいものではありませんが、(日本文で)原稿用紙10枚分に渡って、実に丁寧に「そう、ヴァージニア、サンタさんはいます(Yes, Virginia, there is a Santa Claus)。愛や思いやりや献身がたしかに存在するように」と切々とサンタの実在を訴えています。

 私はこの皮肉屋の大人が8歳の女の子に誠実に切々と語っているという構図がとても好きです。

 フランシス・チャーチは1906年に67歳で亡くなります。サンタの社説を書いたのは58歳のときですが、『ザ・サン』はこの社説の執筆者を明かすことはなく、チャーチとヴァージニアが出会うこともありませんでした。

 ヴァージニア・オハンロンは長じてコロンビア大学に進み、1912年にはニューヨークで教職につきました。47年間教育者として地域の教育に貢献し、最後は入院生活を送る子どもたちの学校の副校長を務めました。1971年、ニューヨークの老人施設で81歳の生涯を閉じたといいます。

 サンタを信じて育った人がよき教育者となったということは、私にとっても幸せです。

《フランシス・ファーセラス・チャーチの回答》

 ヴァージニア、あなたのお友達は間違っています。何でも疑ってかかるご時世なので、それ にすっかり感染してしまっているのでしょう。そうした人たちは自分たちが見たものしか信じません。自分たちの狭い心で理解出来ないものに出会うと、こんなことありっこない、で済ませてしまいます。ヴァージニア、心っていうのは、大人の心であれ、子供の心であれ、みんな狭いものです。私たちのこの巨大な宇宙と比べると、人類はちっぽけな虫、アリのような存在です。私たちをとりまく広大無辺の世界と比較したら、あらゆる真実と知識を有する知能が見たとしたら、 人類の知性などまるで取るに足りないものです。

 そう、ヴァージニア、サンタさんはいます。愛や思いやりや献身がたしかに存在するように。この世界にそれが満ちていて、人生に言い知れない美しさと喜びを与えてくれているのは、あなたもよく知っているでしょう。ああ、サンタさんがいない世界なんて、なんて下らない世界でしょう!まるで、この世から、たくさんのヴァージニアが一度に消えてしまったのも同じじゃないですか。子供らしい信仰も、詩も、ロマンスも、何もかもかき消え、後には生きる苦しさに耐えることも出来ない世界が残るだけです。楽しみと言えば、実際に手でさわり、目で見えるものだけ。子供時代に世界を包んでいた永遠の灯かりは、スイッチをひねるように消えてしまいます。

 サンタさんを信じない!それは、妖精だって信じない、と言ってるのも同じです。クリスマス・イヴにサンタさんが煙突から降りてくるところを見たいなら、パパにお願いして、煙突という煙突に見張を置くことも出来るでしょう。でも、たとえ サンタさんが降りてくるのを目撃出来なくても、それが何の証拠になるのでしょう。だれもサンタさんを見ていないからと言って、それがサンタさんがいない証しになると言うのでしょうか。この世で最もたしかな真実は、子供も大人も目にすることが出来ないものです。あなたはこれまでに妖精たちが草原でダンスを 踊っているのを見たことがありますか。もちろんないと思います。けれど、だから妖精など存在しない、と言えるでしょうか。この世界にいる、姿がなく見ることが出来ない不思議なものを、すべて思い付いたり勝手にでっちあげたり出来る人間などいないはずです。

 赤ちゃんのガラガラを分解して、どんな仕組みで音が鳴っているか、中身を調べてみることは出来るでしょう。しかし、目に見えない世界を蔽っているヴェールは、一番の力持ちでも、たとえこれまで存在したあらゆる力持ちが集まっても引き裂くことは出来ません。信仰と、詩と、愛情と、ロマンスだけが、そのカーテンを開き、その向うにある、言葉に出来ないほど美しく素晴らしいものをかいま見せ、その姿を描き出してくれます。それはすべて本当のことかって?ああ、ヴァージニア。この世で、それほど真実で永遠に変わらないものはありません。

 サンタさんがいない!やれやれ!サンタさんはちゃんといて、そして永遠に生きています。今から千年もの間、いやヴァージニア、それどころか、一万年のさらに十倍だって、サンタさんは子供たちの心を喜びで満たし続けてくれるでしょう。