「砂場で遊ぶ小さな子供」(photoAC)
かつて勤務した学校で、一年間に三回、三種類のインフルエンザの流行で大変な目にあったことがあります。A型とB型、そして当初は異常に心配された新型インフルエンザです。しかも3回とも同じクラスからスタートしました。
担任は中堅の、とても優秀な女性教師でしたが、さすがに三回目は嘆いて、
「ウチのクラスの子は、それこそ手の皮がむけるくらい一日中何度も手洗いして、うがいもしているんですよ」
今考えると、それをきちんとやったから毎回流行の端緒となったのです。
私のクラスは比較的感染症と縁の薄い集団でしたが、誰も私の言うことなんか聞いていなかったからかもしれません。私だって人並みに「手洗い・うがい」を訴えていたのですが、徹底という意味では女性教師の足元にも及びませんでした。
【顔も髪も】
そう言えばかなり昔、娘のシーナが「洗顔も水洗いでいい」という話をしていました。
彼女の話によると、
「石鹸やボディーソープで顔を洗うと必要な皮脂まで落ちてしまう。そこで皮膚は脂分を補おうと後から後から皮脂を出し続ける。その結果毛穴が大きくなり、さらに皮脂が出やすくなる」
手の学習を生かすと、大きくなった毛穴の周辺は石鹸洗いのために無菌状態となった“雑菌の草刈り場”。ですからあらゆる菌が付着してくる。そのいくつかは大きくなった毛穴に入り込んで化膿する。
つまり一生懸命洗顔することでニキビや吹き出物を養殖していることになるのです。
日ごろは美容などになんの興味もないので知らなかったのですか、この件についてネット検索にかけてみるとやはり「水洗顔は肌にいい」という話はたくさんでてきます。しかし「そうでもなかった」とか「逆にニキビが増えた」といった話も少なくありません。
思うに「水洗顔」の仕方の違いなのでしょう。
手洗いの際は「流水で10秒」でしたから、同じだけ顔も洗おうとしたらシャワーを浴びながら手でごしごしやるか、普通の水道だと洗面器に溜めた水を30回も40回も浴びなくてはなりません。
そう言えば京都の修行僧の、朝の洗顔風景をテレビで見たことがありますが、それこそ水浴びのごとく、両手ですくった水を何度も顔にかけていました。若い修行僧たちがこぞって美形に見えるのも、そこから生まれてくる美しい肌のせいだったのかもしれません。
ちなみに私は髪が湯洗いです。
むかしお世話になっていた診療所の医師が、
「髪をシャンプーでなんかで洗ってはいけません。禿げちゃいますよ。ホラ、私なんかお湯洗いを始めてたった三カ月で、髪がこんなに太くなった」
と頭を突き出して見せたのです。医師の三か月前の髪を知らないのでなんとも答えようがなかったのですが、“年を取って弱った毛根に余計な刺激は与えるな”という理屈は理解できたので、以後真似をするようにしました。毎晩入浴の際、シャワーで流すだけです。
おかげで今でも髪はフサフサ・・・とは言いませんが、仲間内では量の多い方で、“一族族郎党、血のつながりのない叔父まで禿げ”という家系にしては上出来でしょう。
【土を食べ、泥にまみれ、汗をかき、働く】
私の尊敬する大先輩に幼児教育の専門家がいます。その人に出会ったのは私の息子のエージュがまだ2~3歳でしょっちゅう風邪をひいているころのことでした。別に相談するといったふうではないのですが、エージュのことを話すと、
「Tさん(私のこと)、子どもには土を食べさせなくちゃいけないよ。
食べさせると言ってもただ土のあるところで勝手に遊ばせておくだけだけど、そうしておくと子どもは必ず土で汚れた手を口に持って行く。それで土を食べるというわけだ。
土の中には無害な雑菌が山ほど入っていて、口にすることで抗体ができる。そしてその無害な雑菌の抗体が有害な菌のバリヤーになるんだ」
どこまで科学的な話か分かりませんが、私はそれを信じ、エージュはいつも泥まみれにしておきました。おかげで小学校以降は、中三でノロウィルスにやられるまで、一日も休まず学校に通うことができました(高校も、親の知らないところでサボっていなければ皆勤です)。
映画「千と千尋の神隠し」の中で、湯婆々の過保護の息子「坊」は、
「おんもには悪いばい菌しかいないんだぞ。
おんもは体に悪いんだぞ。ここにいて坊とおあそびしろ!
おんもにいくと病気になるからここにいるんだ」
と言うようなひ弱でわがままな赤ん坊でしたが、ネズミに変身させられ千尋に連れ出され、泥にまみれ、汗をかき、働かされ、走らされるうちに自分の足で立つ立派な子どもに成長しました。
無菌状態の中では、人はきちんと育たないのです。
幸い教員は子の保護者と話をする機会がたくさんあります。学年通信や学級通信を使って語り掛けることもできます。
親たちに対して、一方で科学的な根拠に基づき、他方で様々な逸話を集め、事あるごとに異常な潔癖を戒める話をしておく、そういうこともこれからの時代、必要になってくるのかもしれません。